平安朝以来の古式装束をまとい、「期日奉告の儀」で拝礼を終えた雅子さま。装束の重さは10キロを超えるという/5月8日、皇居・賢所(かしこどころ)で(写真:宮内庁提供)
平安朝以来の古式装束をまとい、「期日奉告の儀」で拝礼を終えた雅子さま。装束の重さは10キロを超えるという/5月8日、皇居・賢所(かしこどころ)で(写真:宮内庁提供)

 令和も1カ月が過ぎ、雅子さまの仕事スタイルも通常モードになった。宮中祭祀のお休みと、ある少女とのつながり。そんなメリハリ勤務の様子を、コラムニストの矢部万紀子がつづる。

【写真記事】「かわいすぎるプリンセス」振袖&ドレス姿の佳子さまはこちら

*  *  *

 皇后雅子さまが6月16日、「香淳(こうじゅん)皇后例祭」を静かに欠席された。

 上皇さまの母である香淳皇后の命日にあたる日に行われるもので、天皇陛下お一人が装束姿で皇霊殿に拝礼した。

「静かに」と表現した訳は後述する。もう一つ、その前日の15日にも、雅子さまをめぐる「静かな」変化があった。静かなというのは私の勝手な解釈だ。何があったかというと、朝日新聞に陛下と雅子さまと、ある少女の物語が掲載されたのだ。「そくいおめでとうございます」と平仮名の見出しと共に、お二人と少女との交流が書かれていた。

 ここから雅子さまへの「ゆる公務の勧め」を書きたい。僭越なこととは承知の上だが、まずは16日の話から始める。

 皇霊殿に上がったのは陛下だけだったが、秋篠宮さまご夫妻をはじめ皇族方が合計6人、庭上で拝礼した。だから「雅子さまだけが」欠席したと騒がれてもおかしくない事態だった。
欠席への理解が広がる

 皇太子妃時代の雅子さまは実際、宮中祭祀を苦手とされ、2004年に療養に入ってからの出席は3回だけだった。拙著『美智子さまという奇跡』執筆のため、雅子さまと宮中祭祀に関するさまざまな人の発言を読んだ。世代によって意見がまるで違っていた。

 ざっくり分けるなら、皇太子さま(当時)、雅子さまと同世代の人は、「できなくてもいいし、できない理由も理解できる」という立場だった。たとえば「血の穢れ」を避ける考えや、女性にひどく負担の多い装束といった宮中祭祀の「非合理性」に注目してのものだった。

 一方、終戦前に生まれた人たちは、「嫁ぐ前から、そのようなしきたりのあることはわかっていたはずだ」と捉え、「祈らない皇室は、皇室でない」と訴えていた。

著者プロフィールを見る
矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

矢部万紀子の記事一覧はこちら
次のページ