平成を象徴するオウム真理教事件。華やかなバブルの時代に、なぜエリートの若者たちがオウムに吸い寄せられたのか。発生当時から取材を手がけたジャーナリスト・青木理氏がリポートする。
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あれから24度目の3月20日、私は東京都世田谷区の住宅街にいた。当時はオウム真理教の広報担当として数々の詭弁(きべん)を弄(ろう)し、現在は後継団体「アレフ」から分派した「ひかりの輪」を主宰する男、上祐史浩(56)に会って「平成のあの事件」を振り返るために。
●都心の地下鉄にサリン、世界が驚愕した組織犯罪
率直に記せば、元号で時代を区切って何事かを総括する趣味がそもそも私にはない。ただ、あえて「平成」という時代の「事件史」を振り返るなら──いや、戦後日本のそれをすべて振り返ったとしても、一連のオウム真理教事件、なかでも1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件は特筆大書されるべき衝撃的な出来事だった。
最終的な死者は13人、重軽傷者は6千人超。被害の規模という面でも、都心を走る地下鉄で猛毒のサリンを撒くという手口にしても、それを宗教団体が敢行したという事件の態様にしても、世界を驚愕させた戦後最悪級の組織犯罪だったのは疑いない。
当時、私は通信社の警視庁担当記者だった。24年前の3月20日も警視庁9階の記者クラブで夜明けを迎え、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の修羅場と化した通勤時間帯の営団地下鉄・霞ケ関駅に走った。以後の1年近く、まさに狂乱と評すべきオウム事件報道の渦中に身を横たえ、いったいなぜこのような事件が起きたのかを考えていた。いったい何がこのような事件を引き起こさせたのかと、いまも考え続けている。
もちろん、さまざまな取材者や専門家が回答らしきものを提示してきてはいる。警察捜査の問題点などに関しては、私も過去の著作などで言及した。
しかし、教団内部で起きたことの真相を当事者として語りうる者はもうほとんどいない。昨年7月、教祖として一連の事件を首謀したとされる麻原彰晃こと松本智津夫ら教団元幹部13人の死刑が執行され、事件に直接関わった者たちがこの世から消し去られてしまったからである。