「逃げ遅れたんじゃない。みんな、親や子どもを助けようと、自宅に向かっていたんです」

 大切な人を救おうとした人々が亡くなった。行方不明の人は、8年経った今も2500人以上。忘れようとしても、忘れることはできない。

 津波で全電源を失った福島第一原発は、1~3号機が炉心溶融(メルトダウン)を引き起こし、国際原子力事象評価尺度でチェルノブイリと並ぶ最悪のレベル7になった。

 3月20日、福島第一原発を見た。35メートルの高台からは、目と鼻の先に4基の原発の建屋が見える。クレーンや重機がひしめく眺めは巨大な建築現場のようだ。そこに、新たなものを建てる高揚感はない。溶け落ちた核燃料(デブリ)を取り出す「廃炉」に向けて、毎日4100人が手探りを続ける。

 昨年11月、近くに東電廃炉資料館ができた。事故の反省に「安全への傲りと過信」をあげる。長引く避難と廃炉。その代償はあまりに重い。(ジャーナリスト・外岡秀俊)

AERA 2019年4月1日号より抜粋