「遠藤さんも綾子さんも、僕らが想像もできないほどつらい体験をしています。それでも、避難所にいたころからどんな仕事にも率先して取り組んで、お年寄りや子どもには優しい声をかけていました。そんな姿に、僕らもとてつもないパワーをもらっていたんです。それは今も一緒です」

 子どもたちの同級生の姿もあった。渡辺雄大さん(18)は、侃太君と大の仲良しだった。

「侃太が亡くなってしまって、言葉にできないほど悲しく、悔しかった。中学校も高校も、侃太と一緒にいるつもりで通っていました」(渡辺さん)

 先日、高校の卒業式を迎えた。隣に侃太君はいないが、一緒に卒業したと思っている。

「震災後、遠藤さんが被災体験を伝えようとする姿をいつも見ていました。自分も侃太のことを忘れずに、伝える側になりたいと思っています」(同)

 3月17日には、東京で開かれる復興イベントに「高校生の震災語り部」として登壇する予定だ。

 遠藤さんは言う。

「これもみんな、子どもたちがつないでくれた縁ですね。自分の子どもの頭をなでてやれないのが寂しいけれど、彼らの成長は本当に励みになります」

 1万8千人以上の死者・行方不明者を出した東日本大震災からちょうど8年。3月11日をどう過ごすのか、そのことで悩む被災者は今も多い。遠藤さんも、震災後数年は14時46分のサイレンを聞くことができなかった。

「子どものことは毎日考えるけれど、やっぱりこの日は特別つらいです。市の式典も足を運べません。でも、この人たちの前なら泣いてもいいと思えるから、こうして一緒に過ごしてもらっています」

(AERA編集部・川口穣)

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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