長女は挫折し、それが原因でうつ病を患った。一方、次女は音楽講師の資格を得て、全国に教室を持つ会社に就職し、教室を任されたものの、独善的な指導法で生徒が離れ、会社ともめて20代後半に辞職。以降、社会との接点を一切、断った。

 次女について、父親が外部に助けを求めたのは、それから20年後のこと。妻の介護を担う「地域包括支援センター」の保健師のアドバイスで、生活困窮者自立支援事業の窓口に駆け込んだ。

「妻にがんが見つかり、長女の治療費もかかり、株を売り、退職金でしのいできましたが、お金が底をつきました。年金だけでは、暮らしようがない」

 次女を家から出し、家を売って当座の金を作るのが、一家が生き延びる唯一の道だった。

 きらびやかな装いで相談室に現れる次女は、支援員に訴えた。

「私が働けないのは、家族のせいなんです。だから私は働かなくてもよくて、家族が私を食べさせるのは当然のことなんです。私の20年を返してほしい」

 次女は父親に、月5万円の仕送りを要求し、食事は父親名義の携帯でケータリングを取り、父親が代金を支払っていた。

 父親は、家族が次女にいかに苦しめられてきたかを訴える。

「母や姉に暴力をふるう。怒って興奮すると一晩中でも怒鳴り散らす。だから、2人を逃がしたんです。僕は次女と暮らしていましたが、台所も風呂も使わせてもらえず、一晩中説教される生活に耐えきれず、家を出ました。家賃だけで、退職金の1千万円を使い果たしました」

 父と娘──両者の言い分は一切、交わらない。

「私は親の決めたことをやらされ、振り回されてきたんです。父に道を押し付けられてきた。こうなったのは、親のせいです」

 モーレツ社員で“イケイケ”だった父親は家庭の中で、強い父=専制君主だったのではないか。だから次女もピアノ教室で専制君主のように振る舞った。それがこの家の「文化」だった。強さに立ち向かえなかった姉が心を病んだのも合わせ鏡だ。

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