故郷の島に船出する一人の預言者が、別れ行く町の人々から問いかけられる人生のさまざまなテーマについて語る詩篇。結婚、子ども、死、苦しみ……その深みと美しさに打たれた神谷さんは、のちに自ら翻訳した。ジブラーンの世界観を伝える翻訳詩集は、美智子さまとの縁から生まれた一冊だった。

 回顧展では、ハンセン病の治療に尽力した神谷さんを偲び、瀬戸内海のハンセン病施設・大島青松園で生きた女性詩人塔和子さんのドキュメンタリー映画「風の舞」が上映された。美智子さまは塔さんの詩も愛読され、その翌年に高松を訪れた際、いまは亡き塔さんと「お元気で今も詩を書いておられますか」と言葉を交わしている。

「負の歴史と向き合う慰霊の旅を続け、また多くの被災地を訪ねてこられた皇后さまは、一貫して、痛みと悲しみを負い続ける人たちに心を向けてこられたのだと思います」と早川さん。

 早川さんも文学を通して、様々な出会いをつないできた。ホロコーストの第2世代として、親世代の苦しみと喪失の思いを言葉で紡ぐエヴァ・ホフマンさん(73)もその一人である。

 ホフマンさんはナチスの大量虐殺を生き延びたユダヤ人の両親を持ち、13歳でポーランドからカナダへ移住、その後アメリカを経て、現在はイギリスで執筆を続ける。自身を故国喪失の作家と呼び、その軌跡をつづる。ホロコーストの経験を省察した『記憶を和解のために』は11年に日本でも翻訳出版された。

 翻訳を手がけた早川さんが同書を届けたところ、東日本大震災の被災地を次々に訪れ、深い傷を負う人たちと出会い、自身の心にも痛みを宿した美智子さまから、「これはエヴァさんが私のために書いてくださったような本」と言われた。それから2年後、ホフマンさんが来日。広島、福島、長崎を旅して被爆者と対面し被災地で初めての詩作に取り組んだ。さらに帰国の直前、都内で小さな会合が開かれ、美智子さまとの出会いが実現したのである。

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