挑戦の哲学は、この冬、スノボウェアを初めて手がけるユニクロのグローバルブランドアンバサダーに就任し、自らもウェア開発に関わることにも表れている。

「今までは無かったものが、(雪上に)あることになる。想像すると、すごい革命。スノーボードをやってきて、同じものってたくさん見てきているんです。同じスタイル、同じ服装……。その中で、何が個性か。『あいつ、ちょっと違うな』という感覚を持たれることってすごく大切」

 海の向こうでは、平昌五輪で金メダルに輝いたライバルのホワイトも、スケボーでの五輪参戦に興味を示している。ただ、平野は淡々と言う。

「意識は全くないですね。彼もないんじゃないか。(大会で)会って、『当たったらいいね』っていうくらい。人を意識することは一切なくて、自分の成長のため、自分のためのチャレンジだったらいい」

 14年ソチ、18年平昌、そして20年東京、さらには22年北京。スノボ界には、五輪をあまり重視しない選手も少なくない。ただ、その中にあって平野は五輪への思いを隠そうとしない。

「五輪っていうことでしか、スノーボードを知ってもらえる機会ってないんです。五輪に出たいっていうよりも、出ないとその競技が伝わらないというのが自分の中にはある。だったら、出て、見せた方がいい」

 それは、スノボ界全体や後に続く選手たちの競技環境のためでもある。

「人のためにやろうとするってカッコ悪く見えるかもしれないけど、一番難しいことだと思う。恩返しというか、やり続けられたら少しずつ変わっていく。自分はそれを変え続けたい」

 東京五輪まで、2年弱。

「常識をひっくり返す最初の人間が一番大変だし、勇気も要る。失うものも大きい。それでも僕は、新しい物を作る側として唯一無二の物を作りたい」

 誰もいない道へ。踏み出す一歩目は、高揚感とともに。(朝日新聞記者・吉永岳央)

AERA 2018年12月24日号