書いたのは当時小学6年生だった宮城県名取市在住の佐々木風美(かざみ)さん(18)。私はこの作品に出会って本当に驚き、感想文に対する認識を新たにした。

 感想文でありながら、完全に私の物語を手玉にとっている。風美さんは、辻井さんに会ったことはないのに会話している。

 あらすじはたった2行、「辻井さんは目が不自由なピアニストだ。そして、その音色は真珠のように美しいという」のみ。あとはエピソードに対する感想、自分の考えや体験、家族の言葉などが綴られる。

 さらに終盤、「以前、新聞で、『不可能の反対は可能ではない。挑戦することだ』という言葉を読んだことがある。今の私はスタートラインに立つことすらしていない」と展開。「私の心に今、少しだけ風が吹き始めている」と締めくくられていた。

 感想文はこんなに自由でいいのか! 著者の私にもそれは驚きだった。私は名取市に赴き、彼女とお母さんに感想文の書き方を聞いた。彼女はこう語った。

「物語を読んで、なるべく『でも~だったんじゃないか?』『もしかしたら~と思うこともできたんじゃないか?』と反対の見方をするようにしています」

「物語を読んだら、母や4歳上の兄とその本についてたくさん話をします。兄のつっこみが感想文の土台となる気がします」

 佐々木家はテレビをほとんど見ない。祖父母が本代だけは潤沢に出してくれる。そういう環境もあって、この兄妹は小・中学校の9年間、感想文コンクール全国大会の常連で、ともに複数回の受賞歴を誇っている。

 もちろん佐々木家のケースはとてもレアだ。けれど参考にすべき点は多々ある。「同じ物語を親子やきょうだい、友人同士で読んで感想を語り合う」「物語を手玉にとる大胆な想像力」「ものごとを反対側から見る視点」──。

 このプロセスをメモにとり、「3枚の画用紙」を活用して構成すれば、感想文コンプレックスは軽減され、真っ暗だった視界も開けるはずだ。

 風美さんはいま高校3年生。田辺聖子文学館ジュニア文学賞を受賞するなど書き続けている。

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