「長女にコンドームを持たせるか否か」

 である。持たせるということは「有事がある」と認めること。さらに言えば、「守りながら攻める」ということも“解釈の幅”の中に含むということだ。つまりそのコンドームが「軽い恋愛して、セックスしまくって良し」という許可証代わりになってしまうのである。

 例えば彼女が合コンに行くとする。私はこれを個別的自衛権として考えたい。“思春期の性”という実弾が飛び交う現場では、“どうしてもやむを得ない場合”というのがあるのは認めたい。本音では認めたくないが、自分の年頃の時を思えば、「ない」ではなく「ある」と考えるのが妥当。

 自らすすんで“やりコン”に参加するような、集団的自衛権ビッチにはなってほしくないが、「抜き差しならん場合」に専守防衛の武力として? イヤ、あるいは、抑止力としてのそれか。「着けないとヤラせない」という“未然の攻撃”にもなることを考えれば、やはり娘には持たせるということも考えなくてはと思うのである。

 そんな長女は授かり婚で生まれた子である。私が悩むのは当然だろう。

※AERA 2018年11月5日号

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マキタスポーツ

マキタスポーツ

マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。俳優、著述家、ミュージシャンなど多彩な顔を持つ。子供4人。スポーツ用品店だった実家の屋号を芸名に。著書に『すべてのJ-POPはパクリである。』ほか。映画「苦役列車」でブルーリボン賞新人賞受賞。近刊に『越境芸人』(東京ニュース通信社)。『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)発売中。

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