島の人々が禁教令が解けてもカトリックに帰依しなかった背景にも、このような信仰の状況があったようだ。

「カトリックに改宗すると仏壇を家からなくさなければいけなくなる。先祖の祭壇を粗末に扱うと悪いことが起こるという考え方があった」(中園さん)

 弾圧に耐え、命がけで450年も守り抜いた信仰は風前のともしびだ。若者は仕事を求めて次々と島を離れ、島は高齢化。平成になるまで島の人口約1万人のうち半数以上が信者だったが、今では人口約6千人、信者は300人ほどだ。折々の宗教行事を共同で行う「組」は、2000年ごろには島全体で20余りあったが、今は四つに。オラショを唱えられる人は高齢化し、行事に参加するのは一つの組で1人~数人だ。

 川崎さんが住む島北部の壱部(いちぶ)集落にもかつて四つの組があったが、今は川崎さんのところだけ。しかも10年ほど前から行事は川崎さん1人で続けている。

 もう一人、島の南部、山田集落に暮らす信者の一人、舩原正司(ふなばら・まさし)さん(56)からも話を聞けた。平戸市役所生月支所の支所長でもある。

 オラショを唱える最も若い世代の一人。34歳のときにオヤジ様を受け継いだ。

「使命感というか、ずっと弾圧の中でも続けてきた誇りというか。自分たちがやらんばいかんという気持ちでいました」

 組のメンバーは6世帯から2世帯に減り、行事も月1度程度から、正月の「お祓(はら)い」など年5回程度に減った。川崎さん、舩原さんともに長男がいるが、オヤジ様を引き継いでくれるかはわからないという。

 今回、登録された世界文化遺産の構成資産にかくれキリシタンの文化は含まれていない。キリスト教弾圧の中でも信仰を継続した潜伏キリシタンの歴史がテーマだからだ。だが「かくれ」の文化は、潜伏キリシタンがたどったもう一つの歴史でもある。消滅の日も近いとすらいわれる中、世界的にもたぐいまれな信仰文化を守れるのか──。

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