荻野目洋子 芸能界入りも決めた「人生ゲーム」の影響力明かす 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)
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荻野目洋子 芸能界入りも決めた「人生ゲーム」の影響力明かす

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荻野目洋子(おぎのめ・ようこ)/1968年生まれ。歌手。11~12月、「荻野目洋子クリスマスディナーショー」を東京・金沢・札幌・名古屋・千葉・徳島で開催

荻野目洋子(おぎのめ・ようこ)/1968年生まれ。歌手。11~12月、「荻野目洋子クリスマスディナーショー」を東京・金沢・札幌・名古屋・千葉・徳島で開催

 ボードゲームの定番「人生ゲーム」が国内で発売されて半世紀。そんな人生ゲームと「同い年」で、ともに人生を歩んできたのは荻野目洋子さんだ。その魅力と影響などを語った。

【歴代の人生ゲームをフォトギャラリーでご紹介!】

*  *  *
 私は初代人生ゲームが発売されたのと同じ1968年生まれ。人生には山と谷があるということを教えられ、大きな影響を受けてきました。

 家にゲームがあって、5歳くらいからルーレットを回していました。年末になると、恒例行事として家族みんなで紅白歌合戦を見ながら人生ゲームで遊んでたんです。「やるぞー」って、父がみんなに声をかけて。

 両親も一緒になって白熱しました。4人きょうだいの末っ子だった私は、誰よりも負けず嫌い。負けて終わると悔しくて、泣きながらお風呂に入ってその夜は眠れないくらい。そこまで夢中になれたのは、なんといっても人生を疑似体験できたからです。

 子どもが生まれるとお祝いをもらったり、稼げないと人生うまくいかなかったり、うまくいっていると思って調子に乗っていると痛い目にあったり……。ものすごく人生の教訓になりました。

 10歳で歌の世界に入りグループデビューしましたが、それも人生ゲームの影響。ある程度しっかりした職に就かないと、将来食べていけないと人生ゲームから学んだので、好きだった歌で食べていこうと決断しこの世界に飛び込んだのです。

 一度、芸能界を離れ15歳でソロデビューしました。そして「ダンシング・ヒーロー」がヒットしたのは、17歳。10代はまさに「山」でした。大人が敷いてくれたレールに乗って、若さというエネルギーで突っ走っていきました。

 でも、20代に「谷」が訪れました。バブルが終わって時代が変わると、音楽もアイドルブームは終わりバンドブームが訪れます。そうした中、私が求められているものは何だろう、って悩みました。正解を教えてくれる人がいなくて、ずいぶんもがきました。でも人生ゲームと同じで、「また必ず落ち着く時が来るんだ」──そう自分に言い聞かせてましたね。30代は結婚して、子育てに夢中でした。

 40歳になって音楽活動を再開しました。ミニライブをやりながらデビュー30周年を迎え、アルバムも出しました。そうした最中の昨年、ダンシング・ヒーローがまたブレークしたのです。まさか、夢にも思っていませんでした。本当に人生ゲームのようです。

 先日、久しぶりに人生ゲームの最新版を娘3人と楽しみ、盛り上がって白熱しました。でも一番熱くなったのは、やはり私でした(笑)。

AERA 2018年9月17日号


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