「何を目指しているのかわからなくなってしまった」(Hank)

 転機は、16年末、日本でのトレーニングを持ちかけられたこと。「バンドが盛んな日本で基礎を学んでみたいと思った」(Mark(マーク))と二つ返事で来日を決
めたものの、さらなる試練が待っていた。知名度ゼロの状態で課されたのは、日本全国を車と電車で回り、1年半で150本を超えるライブを行う巡業の日々。17年4月には、「ファーストシングルを2カ月で1千枚完売できなければ、解散」という厳しい条件を言い渡された。

 JK(ジェイケー)いわく「悶々としていた僕たちに、本気のスイッチが入った」。思いついたのは、CDショップやライブ会場でチラシを手渡しするという、いわば原始的な方法だった。

「大切なのは、『よかったら遊びに来てね』と真摯に、笑顔で渡すこと。シンプルなことをコツコツやって自分らしさをアピールすることだと気づきました」(Shawn)

「相談しながら、初めて大ゲンカもしました。模索して、ぶつかり合って、本物のバンドになれたと思っています」(JK)

 noovyというバンド名は、台湾から日本に拠点を移すタイミングで、4人で考えた。「newbie(初心者)」と「groovy(ノリノリ)」を合わせた造語だ。

「衣装にもこだわっています」という4人の姿を見ると、スポーティーなシャツに、制服を思わせるパンツの組み合わせ。

「音楽をカラフルに楽しみながら、常に学ぶ初心を忘れないという思いを込めている」という。(ライター・桑畑優香)

AERA 2018年9月17日号