7月2日に国民栄誉賞を受賞した。表彰式には地元仙台伝統のはかま姿で出席。受賞について「皆さんが応援してくださり受け取ることができた」と語った (c)朝日新聞社
7月2日に国民栄誉賞を受賞した。表彰式には地元仙台伝統のはかま姿で出席。受賞について「皆さんが応援してくださり受け取ることができた」と語った (c)朝日新聞社
羽生結弦の歩み(AERA 2018年7月23日号より)
羽生結弦の歩み(AERA 2018年7月23日号より)
羽生結弦の歩み(AERA 2018年7月23日号より)
羽生結弦の歩み(AERA 2018年7月23日号より)

 平昌五輪で2連覇を成し遂げた羽生結弦。彼にまた一つ勲章が加わった。国民栄誉賞──。その存在が国民に大きな影響を与えたことの証しだ。感動や勇気だけではない、その練習スタイルも社会にメッセージを投げかける。

【図表】羽生結弦 生まれた時からこれまでの歩み

*  *  *

「みなさんの思いがこの背中を押して下さった」

「ここまで切り開いて下さった方々がたくさんいらっしゃる中で、環境に恵まれながらいただいた賞だと思う」

 7月2日に国民栄誉賞を受賞した羽生結弦の言葉には、ファンや関係者に支えてもらったことに対する感謝や敬意がたくさん込められていた。

 受賞が決まった時の気持ちを聞かれた際は、「みなさまの力が、みなさまに還元されているんだなって思えた」「みなさまの力が僕に注がれて、その力がみなさまに巡っていくためには、期待に応えなくてはいけない」と話すなど、10回以上も「みなさま」と口にした。「たくさんの方々」という表現も使い、何度も何度も、周囲に対する心からの感謝を言い表そうとしていた。

 多くの人が、直接的に間接的に羽生に関わり、支えてきた。どうやって感謝の気持ちを言葉にするのかを、羽生はたくさん考えてきたのだろう。

 ただ、スポーツは、社会に支えられる側になるだけではない。国民栄誉賞は、国民に深い感動と勇気、社会に明るい夢と希望を与えた者に贈られるものだ。スポーツやスポーツ選手が、社会を支える側になることもできる。

 羽生は、その競技への取り組みや言動を通じて、社会に大きなインパクトを与えられる存在だ。東日本大震災による被災と、平昌五輪直前の大きなけがという困難を乗り越えて、フィギュアスケート男子で66年ぶりとなる五輪連覇という世界的偉業を達成し、私たちに感動を与えてくれた。

 そんな有名な物語に埋没してしまったが、社会にいい影響を与えることができる羽生の物語は他にもある。その一つは、練習時間の短さだ。

 カナダ・トロントに拠点を移したシーズンの2013年1月、「(日本にいた)昨シーズンの練習は45分とかでした。(トロントでの練習は)ぜいたくな感じですね。それぐらいやったのって、日本ではあまりなくて」と語っている。16年12月、フランスであったグランプリ(GP)ファイナル後には、「練習時間は人よりもすごく少ないと、自分でも自負している」と語った。小学生時代の羽生を指導した都築章一郎コーチも、「あの子は効率的なスケーター。他の子と比べたら3分の1くらいの練習量だ」と話す。

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