「ウォーリーをさがせ!」感覚で楽しめる? トリックアートのような「三十六歌仙図」 (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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「ウォーリーをさがせ!」感覚で楽しめる? トリックアートのような「三十六歌仙図」

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矢内裕子AERA

「三十六歌仙図」 鈴木其一 1845(弘化2)年 出光美術館/50歳の其一が描いた作品。箱書きに光琳に倣う旨が書かれているが、より大胆に、独自の工夫がなされている(写真:出光美術館提供)※三十六歌仙図の人麿は中央やや右下の白い服の男性

「三十六歌仙図」 鈴木其一 1845(弘化2)年 出光美術館/50歳の其一が描いた作品。箱書きに光琳に倣う旨が書かれているが、より大胆に、独自の工夫がなされている(写真:出光美術館提供)※三十六歌仙図の人麿は中央やや右下の白い服の男性

「人麿像」土佐光起 江戸時代・17世紀 重要美術品(写真:出光美術館提供)

「人麿像」土佐光起 江戸時代・17世紀 重要美術品(写真:出光美術館提供)

 和歌の名人「歌仙」の中でも、神と呼ばれる柿本人麿。歌会の場にその絵を飾る「人麿影供(ひとまろえいぐ)」という儀礼が始まって900年を記念した、「歌仙と古筆」展が開催中だ。

【写真】江戸時代・17世紀 重要美術品「人麿像」はこちら

 その道の偉人の肖像画を掛け、供え物をして遺徳をしのぶ風習がある。茶道ならば千利休の祥月命日におこなわれる「利休忌」が有名だ。さらに昔からおこなわれていたのが、歌会の場に万葉の歌人・柿本人麿(人麻呂)の絵を掛ける「人麿影供」だ。

 人麿影供は1118(元永元)年、平安時代の歌人・藤原顕季という人物が人麿の像を飾り、その前に供え物をあつらえて歌会を開いたことから始まったという。平安の歌人たちは歌聖・人麿を歌の神としてまつり、歌道の繁栄を願ったのだ。

 今年で900年となることを記念した「歌仙と古筆」展が、東京・丸の内の出光美術館で開かれている(7月22日まで)。重要文化財・佐竹本三十六歌仙絵「柿本人麿」像や、鈴木其一「三十六歌仙図」をはじめとするさまざまな歌仙絵、国宝・古筆手鑑「見努世(みぬよ)の友(とも)」などの至宝が展示された展覧会だ。

 分野の垣根を越えて、美術、時代の美意識にまで影響を与えた和歌の世界。三十一文字に表現美と情緒をこめる和歌は平安時代に洗練され、雅(みやび)の象徴として、貴族たちの高貴な遊芸へと発展していった。

 歌人たちは自らの思いと美意識を歌に詠じた。数多くの秀歌が生まれるなかで選別され、特に秀でた和歌の名手は崇敬の対象となってゆく。

 中でも藤原公任による「三十六人撰」に載った、万葉から平安の和歌の名手36人は、「歌仙」として、後世の画題になる。平安時代から鎌倉時代、そして江戸時代と時代が下がるにつれて、歌仙の描きかたはどう変化したのだろうか。

「ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島かくれゆく舟をしぞおもふ」

 本展の作品の多くに書かれた、柿本人麿の和歌だ。万葉の歌人・人麿は、格調高い歌風で知られ、万葉集にも数多くの歌が選ばれている。


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