見る側は「真剣にじっくり見ない」を前提にしているので、作り手側も視聴者の無意識に訴えることでこれを凌ぐ。結果どうなるかというと、子どもか、動物か、グルメか、うわさ話に行き着く。

 我々は真剣に見ないまま「テレビを眺めている」のである。そして気になることがあると、通りすがりにSNSで正論や暴論を吐き出し→浄化→眠りに就く。「そんなことなら見てもらわなくていい!」と作り手が言うかというとそれもない。

 そして、見る側も自分の「なんとなく」という無意識を奪われるのはなんか寂しいから、なんとなくスイッチを入れ、スリープ機能でいつの間にかスイッチが切れているという状態。正力松太郎や、力道山がこれを見たらどう思うだろうか。

 モリカケ問題も、日大タックル問題も、テレビを通して見ている以上そこに問題意識はない。ただの興味本位だ。でも、いい加減に見るテレビほど楽なものはない。

AERA 2018年7月2日号

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マキタスポーツ

マキタスポーツ

マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。俳優、著述家、ミュージシャンなど多彩な顔を持つ。子供4人。スポーツ用品店だった実家の屋号を芸名に。著書に『すべてのJ-POPはパクリである。』ほか。映画「苦役列車」でブルーリボン賞新人賞受賞。近刊に『越境芸人』(東京ニュース通信社)。『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)発売中。

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