米軍統治下の沖縄では、結婚を控えた女性が米軍人に暴行され、被害を誰にも打ち明けられないまま、結婚後に肌の色の違う子が生まれてくる、といったこともあった。当時は、基地内に逃げ込まれれば米軍人を訴追できない、との諦念が県民にあったからだ。復帰後も米軍関係者による事件・事故が起きるたび、こうした悲劇や不条理を想起する県民は少なくない。

 政府が協定改定に動かないのはなぜか。協定は関係省庁が多岐にわたり、改定には政府を挙げて取り組む覚悟が不可欠だ。しかし、協定改定を声高に訴えているのは、沖縄をはじめ米軍基地を多く抱える一部自治体に限られ、政治を動かすインセンティブが働かないのが現実だ。

「宜野湾市民の民意を全く無視し、愚弄するもので許しがたい」

 6月8日、宜野湾市議会は米海兵隊トップのネラー司令官が5月に行った発言に、全会一致で抗議決議し、発言の撤回を求めた。ネラー氏は記者会見で「普天間飛行場の建設時の写真を見ると、数キロ内に人は住んでいなかったが、現在はフェンスまで都市地域が迫っている」との認識を示していた。

「基地のそばに学校などを造ったのはあんたたち」「基地のおかげで経済発展しているじゃないか」といったネラー氏の認識に通じる情報は近年、ネットを中心に流布している。だが、米軍が沖縄戦で住民を追い払い、その土地に基地を建設したのは史実だ。

「この辺り一帯が戦前の宜野湾集落です」

 普天間飛行場南東側のフェンスから内部を指し、かつての集落の様子を解説してくれたのは宜野湾市宜野湾に住む宮城政一さん(74)だ。基地内にある茂みには、字宜野湾郷友会が年中行事で拝む集落の水源「ウフガー」(泉)がある。同飛行場のエリアには戦前、約8800人が住んでいたという。

 14年まで約30年間、在沖縄米国総領事館に勤務した平安山(へんざん)英雄さん(69)も、事実でない情報が力を増す風潮に憤る。

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