50歳を過ぎても現役でプレーする三浦知良(写真左)にあこがれる選手は多い=1998年、成田空港 (c)朝日新聞社
50歳を過ぎても現役でプレーする三浦知良(写真左)にあこがれる選手は多い=1998年、成田空港 (c)朝日新聞社

「体力の限界」

 小柄ながら鍛え上げた肉体と鋭い眼光。バブル時代を「ウルフフィーバー」で彩った横綱・千代の富士は1991年、当時18歳の新鋭、貴花田(現・貴乃花親方)に敗れた2日後に引退を表明。冒頭の台詞を涙ながらに絞り出した会見は、「あの千代の富士が」と衝撃を与えた。

 千代の富士引退の年に設立されたJリーグ。初年度(93年度)のMVPが、「キング・カズ」こと三浦知良。授賞式にド派手な赤いスーツで現れ、きらめく紙吹雪の中ポーズを決めた。三浦の登場は、サッカーのみならずプロスポーツ選手のイメージを刷新した。しかし日本が初出場したW杯フランス大会には代表招集されず、中田英寿らがチームの中心に。帰国して成田空港で行った記者会見では「日本代表としての誇り、魂みたいなものは向こうに置いてきた」と語った。「あの時カズがW杯に出場していれば」。こう問い続けるサッカーファンは多い。

 世代交代の波は、テレビの人気者にも容赦ない。高視聴率番組を多数抱え「視聴率100%男」と呼ばれた萩本欽一は85年、好きなタレント調査で明石家さんま、ビートたけし、タモリの「お笑いBIG3」に抜かれ休養宣言。そのビートたけしも、やがて映画に軸足を移していく。たけしとともに漫才ブームを引っ張った島田紳助はダウンタウンの漫才に衝撃を受けてコンビ「紳助・竜介」を解散。ダウンタウンと同世代で人気を分け合ったとんねるずは今春にコンビとしてのレギュラー番組を失い、現在のバラエティーの中心は「子どもの頃ダウンタウンやとんねるずにあこがれた」と話す世代に移りつつある。

 政治の世界の世代交代には、裏切りと論功行賞の気配がつきまとう。

 2000年、次世代の首相候補筆頭と目されていた自民党の加藤紘一が、野党が提出した森喜朗内閣への不信任案に同調しようとした「加藤の乱」。これをつぶす役割を担ったのは、加藤、山崎拓とともに「YKK」と呼ばれていた当選同期の盟友、小泉純一郎だった。小泉は翌年、5歳年上で首相経験者の橋本龍太郎らに競り勝ち、森の後任首相に。一方の加藤は権力の中枢から滑り落ちた。小泉は後に「(政界は)運、不運だ。いずれ総理になるとみんなが思っていた加藤さんがならなくて、一番遠い私がなった」と朝日新聞の取材で回顧した。

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