日本では政策決定プロセスが見えない状況が当たり前になっているという問題が根本にあります。行政のプロセスが公開され、それに基づいて議論するのが民主主義ですが、プロセスが明示されないことで不当な政治介入を許すことにつながる。公文書管理法では、公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」であり、「主権者である国民が主体的に利用し得るもの」とされています。そして公文書を適切に保存・利用することで「行政が適正かつ効率的に運用されるようにする」とともに「現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにする」とされています。公務員が公文書を作るのは国民への説明責任のためですが、自分たちの仕事を証明するためのものでもあります。それを改竄するのは、官僚というものの存立基盤を崩すことです。

 歴史学研究の立場から見ると、公文書に都合の悪いことが書いていないことはたくさんありますが、その省庁、その官僚にとっての事実は書いてあるものです。すべて鵜呑みにするのではなく他の資料と突き合わせながら、どういう意図があったのかを考える。公文書は、政府がどのように行政を進めていったのかという基礎資料なわけです。

 公開したくないから作らないという方向に行きがちですが、公開と作成は別。いまできないなら何十年後かに公開ということでいいので、とにかく公文書は作っておいてほしい。戦前の著名な外交官・石井菊次郎は「外交文書をきちんと作成・管理しておくことが外交交渉において非常に重要である」と言っています。つまり公文書をきちんと残さないと、国益を損ねることにもなりうるのです。

(構成/編集部・小柳暁子)

AERA 2018年4月30日-5月7日合併号より抜粋