試合の前後には両チームが整列して礼をする。「礼が美しい」と話題になる高校も(撮影/写真部・松永卓也)
試合の前後には両チームが整列して礼をする。「礼が美しい」と話題になる高校も(撮影/写真部・松永卓也)

 高校野球甲子園大会では、試合終了後にホームベースを挟んで一礼した後、両チームの選手が歩み寄って握手を交わす。お互いの健闘をたたえ合う、おなじみの光景だ。ところが、この選抜大会で、負けたチームが握手を避けたようにも見える試合がいくつかあった。

 一つ目は2回戦の静岡─駒大苫小牧。勝った静岡の選手が歩み寄ろうとしたが、駒大苫小牧の選手はそのまま引き揚げた。同校には試合後、「握手に応じるべきだ」といった電話が何本か寄せられた。同校によると、

「選手にとっては初めての甲子園。特に監督からの指示もなかったため、どうしていいのかわからなかったようです」

 もう1試合は2回戦の日大三─三重。日大三の選手が握手に応じなかったとして、ネット上で「握手拒否」と騒ぎに。同校に尋ねると、こう話してくれた。

「チーム方針で握手をしないことはありません。事実、1回戦の由利工戦では握手をしています。三重戦でしなかった理由は……。その場面の映像を見るとわかるかもしれません」

 はっきりとは確認できなかったが、さまざまな情報を突き合わせると、審判が握手を制止したか、もしくは選手がそう受け取ってしまったようだ。

 試合後の握手。大会を主催する日本高等学校野球連盟(高野連)では、「推奨も禁止もしていない」(事務局)。つまり、選手に任せている。それでは握手の習慣はいつごろ始まったのか。

 スポーツライターの玉木正之氏は「1960年代には行われていたが、その後、いったんなくなったようだ」と言う。73年に江川卓投手を擁して甲子園を沸かせた作新学院の試合映像を見ると、握手はしていなかった。ノンフィクション作家の山際淳司氏は短編「八月のカクテル光線」のなかで、延長18回を戦った79年の箕島─星稜では主審がこのゲームに限り選手同士の握手を認めたと書いている。それまでは妙な流行になるという理由で禁止されていたそうだ。

 変わったのは80年代前半ごろ。桑田真澄投手、清原和博内野手の1年生コンビを擁するPL学園が優勝した83年夏の決勝戦では、しっかりと握手をする姿が確認できる。その後、握手をする試合、しない試合が混在したが、2000年代に入ったころにはすっかり定着した感じだ。

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