私は事件を調べる特命班員として取材を続ける傍ら、彼の苦悩を間近で見てきた。ふだんは平静を装っていた犬飼さんだが、ペンを握れなくなった手に大きなショックを受けていた。事件から5カ月後、初めてペンを包帯で巻き付けて文字を書いてみたが、判読不能だった。

 夜、布団に入って嗚咽した。

 現場検証で銃口を突き付けられて以来、悪夢にうなされる。いつ犯人が出てくるかと思うと、人混みを歩くのが怖かった。

 このころの寝言を奥さんがノートに書き残している。

「誰かが入ってくる」

「ふんぎりがつかんのや」

 事件取材の苦手な小尻記者が、犯人を捜して彷徨(さまよ)っている夢をよく見た。なぜ代わってあげられなかったのか。負い目も重なって、犬飼さんは圧(お)し潰されそうになっていた。周囲の励ましも、重荷でしかなかった。

「下手に生き残ってしまった」

 当時の犬飼さんの口癖だ。

 会社を辞めることも考えたが、少しずつ心境も変わっていった。

「ワシが書き続けることが、犯人、そして小尻への回答になるな」

 1年目を迎えた朝日新聞に、手記が掲載された。

「生かされた自分は、やはり地方で復帰したいと思う」

 朝日という看板を背負わされ、小尻記者への負い目や恐怖心を抱えながら、彼は宣言通りに定年まで地方を渡り歩いた。

 その犬飼さんは今年の1月16日、香川県の自宅で倒れた。73歳。夫婦で余生を送ろうと新しい土地に引っ越した矢先だった。

 私は、いたたまれず主なき携帯電話にかけてみた。留守電だったが、折り返し奥様からかかってきた。

「最近は、土地に馴染もうと、買い物まで一緒だったの」

 本当に悲しいのは奥さんのはずなのに、言葉に詰まって話せなくなったのは私の方だった。

 その犬飼さん、NHKドラマを見て、こう言うに違いない。

「ワシは、どうしてもなぜ狙ったんか知りたい。こっちで小尻と一緒に、犯人捜すわ」

 あの世に、時効はない。(ジャーナリスト・辰濃哲郎)

AERA 2018年2月12日号