葉加瀬太郎、「情熱大陸」が有名になって起きた「困ったこと」 (3/4) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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葉加瀬太郎、「情熱大陸」が有名になって起きた「困ったこと」

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赤澤竜也AERA
福岡が印象深いと話した「情熱大陸・石巻日日新聞」は2012年3月11日放送。生中継で震災1年後の石巻日日新聞を伝えた(写真:毎日放送提供)

福岡が印象深いと話した「情熱大陸・石巻日日新聞」は2012年3月11日放送。生中継で震災1年後の石巻日日新聞を伝えた(写真:毎日放送提供)

葉加瀬:これまでたくさん曲を書いてきました。生み出す苦労はどの曲も同じなんだけど、育ち方はまったく違う。やっぱり運も必要なんですよね。番組との相乗効果のおかげで「情熱大陸」という曲は大きく育ちました。この曲を演奏した瞬間、ミュージシャンと観客がひとつになれる。そういう曲はなかなかありません。

 バイオリンをやっている子が、「いつかこの曲を弾きたい」と言ってくれるまでになってきた。そんな子どもたちに、「いつか情熱大陸に出られるようにがんばろう」って思ってもらえるような番組であり続けてほしいね。

福岡:番組がメジャーになったせいで困ったこともあるとか?

葉加瀬:僕のところに「情熱大陸に出たい」と頼んで来られる人が増えてきた。いやいや、僕はそういう仕事してへんし。

福岡:情熱大陸には三つの要素があると思っています。人物ドキュメントと葉加瀬さんの音楽、そして窪田等さんのナレーション。この三つのなかで遊ぶことは許される。その条件を満たした冒険として、印象に残っているのは東日本大震災からちょうど1年目のときの「石巻日日新聞編」。石巻からの生中継とともに、オープニングとエンディングで葉加瀬さんにロンドンから生演奏してもらいました。


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