ケインズ先生としては、戦後の国際通貨体制がドルを軸とするものになることは、何としても回避したかった。そうなれば、大英帝国を要とする「パックス・ブリタニカ」の時代は名実ともに終焉する。英国人たちが「若き従弟たち」と呼んで、後輩扱いしてきた米国に通貨の王様の座を奪われる。

 世界中が英国ポンドを決済に使う時代は、戦後において、もはや再現できない。それはケインズ先生もよく承知していた。だが、それは叶わずとも、せめてドルの君臨が体制化することは避けたかったのである。

 この攻防は、結局のところホワイトの勝利に終わった。そして戦後のIMF(国際通貨基金)体制が生まれた。

 この米英対決は、文字通り決死の勝負だった。なぜなら、両雄激突の最中に、ケインズは軽い心臓発作を起こした。そして、1946年には大発作を起こして亡くなった。その後を追うように、ホワイトも48年に同じ心臓発作で落命した。IMFがその業務を本格開始した翌年である。

 全く文字通りの命を懸けた攻防。たまにはこういうのを見せてほしい。むろん、あの二人とは無縁の世界だ。何が国難だ。

AERA 2017年11月20日号

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浜矩子

浜矩子

浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演

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