「宿題は信念を持ってやらなかった」ノーベル賞受賞の益川教授の幼少期 (2/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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「宿題は信念を持ってやらなかった」ノーベル賞受賞の益川教授の幼少期

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市岡ひかりAERA

ますかわ・としひで/名古屋市生まれ。名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了。素粒子理論が専門。2008年にノーベル物理学賞を受賞(撮影/MIKIKO)

ますかわ・としひで/名古屋市生まれ。名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了。素粒子理論が専門。2008年にノーベル物理学賞を受賞(撮影/MIKIKO)

 高校1年生の9月に、大事件が起こる。名古屋大学の坂田昌一教授が素粒子のクォークモデルの前身となる「坂田モデル」を発表した。自分の町で起きた大発見に興奮して「ぜひ見学させてもらいたい。名古屋大に行きたい」と奮い立った。

 父は「家業を継げ」と圧力をかけてきたけれど継ぎたくなくて、食事時はけんか。母親が間に入ってくれて一度だけ受験を許してくれた。さて、どうやって受かるかと考えた時に、英語を捨てて他で90%近く取ればいいじゃないか、と。物理や数学の勉強は面白いから、自分にとっては遊びみたいなもの。予想通りの点は取りました。作戦勝ちだね。試験問題も記述式が多かったのが自分に合っていた。

 英語? さすがに記述問題はちょっと書いた(笑)。ただ、大学に入ってからもドイツ語の試験は全部白紙。大学受験は総合点だからよかったけど、大学院に上がる時はさすがに「こんな学生を通していいのか」と議論があったらしい。擁護してくれた先生がいて助かった。

 高校のころから人と議論をするのも好きだった。ディベートの授業で一度、本音とは違う意見で議論させられて負けたことがあって。絶対に勝てる方法を研究してからは、議論すれば必ず勝ったよ。相手を言い負かした後に「君のほうが正しかったんだけど、ここの主張を間違ったんだよ」と種明かしする。相手は怒ったねぇ(笑)。(構成 編集部・市岡ひかり)

AERA 2017年10月16日号より抜粋


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