稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年、愛知県生まれ。元朝日新聞記者。著書に『魂の退社』(東洋経済新報社)など。電気代月150円生活がもたらした革命を記した魂の新刊『寂しい生活』(同)も刊行
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年、愛知県生まれ。元朝日新聞記者。著書に『魂の退社』(東洋経済新報社)など。電気代月150円生活がもたらした革命を記した魂の新刊『寂しい生活』(同)も刊行
仮設商店街で名物の「なみえ焼そば」を頂きました。一味唐辛子をタップリかけて。ウマイ!(写真:本人提供)
仮設商店街で名物の「なみえ焼そば」を頂きました。一味唐辛子をタップリかけて。ウマイ!(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】仮設商店街で名物の「なみえ焼そば」

*  *  *

 先日、福島第一原発から約8キロに位置する福島県浪江町役場へ行ってきました。事故が起きたのは今から6年半前。そして町の大部分は今も「帰還困難区域」です。

 でも町の中心街は風向きの影響で奇跡的に重度の被曝から逃れ、半年前から人が住めるようになりました。あの日のまま残酷に冷凍保存された町が動き始めている。そんな「ゼロからのまちづくり」の現場を見てほしいと役場職員が企画したフィールドワークに参加したのです。

 原発の問題は本当に深刻で複雑です。

 土地を追われた町民は避難先を転々とし、407人が震災関連死と認定されました。地震や津波による死者の倍以上です。そして「住める」ようになっても簡単に戻れるわけじゃない。特に若い世代はなかなか戻らない。戻れない。そんな場所に多くの予算を投じて町を復興する意味があるのかと思ってしまう自分もいるのです。でも奮闘する職員の方々、困難の中で仕事や暮らしを再開した住民の方々のお話を聞き、考えが変わりました。

 皆さんがおっしゃったこと。「戻るべき」「戻ってほしい」なんて言うつもりはない。ただ「戻ることもできる」という可能性はちゃんと残したい。戻らない人にもふるさとが今後も存在し続ける、ということが大事なんだと。

 事故は一瞬にして多くの人々の過去も未来も奪いました。でも人は過去も未来もなくしたら生きていけません。町の人々はそれを必死で取り戻そうとしているのです。

 町の復興計画の言葉から。

「原発事故は、被災地や被災者だけが悩み苦しむ問題ではありません。国策上の事故により全てを奪われた『国民』に対して国がどう償うのか。汚染された『国土』をどのように考え、どう扱うのか。この災害を繰り返さないために何を学び実行していくのか」「国全体で分かち合い、国全体で真剣に取り組むことでしか解決ができない問題です」

 そう。浪江の問題は我々の問題です。私たちは本当の意味で日本を取り戻さねばならないのだと思います。

AERA 2017年10月16日号

著者プロフィールを見る
稲垣えみ子

稲垣えみ子

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

稲垣えみ子の記事一覧はこちら