アーキビストとは、美術館や政府機関、病院、大学など、膨大な資料が集まる場所で、その貴重な資料が散逸したり埋もれたりしないよう、吟味し、整理し、管理して、有効に活用できるようにアーカイブする人のこと。メルトンさんは言う。


「私の最初の仕事は、オフィス、倉庫、地下室、屋根裏部屋など、巨大な館内の津々浦々を回って、そこに眠っていた貴重な資料を、オフィスに集めることでした」

 歴史家でもある彼女の手によって集められた膨大な紙の束は、ボランティアやスタッフの力も借りて、ボストン美術館を語る上でなくてはならない「歴史的な資料」へと姿を変える。その過程で彼女自身も、同館の歴史を体系的に知る“生き字引”のような存在となった。2冊の著書を出版し、講演も行って、この美術館の輝かしい歩みを伝える役割も果たしている。

●台風のおかげで収集

 ボストン美術館を作り上げていったコレクターたちの生涯についても、アーキビスト、メルトンさんの手でさまざまな事実が明らかになった。

 例えば、「フェノロサ=ウェルド・コレクション」のチャールズ・ゴダード・ウェルド。

 広範なジャンルの美術品を網羅したボストン美術館のなかでも、日本美術コレクションは特に充実している。今回も展示されている「涅槃(ねはん)図」「月次(つきなみ)風俗図屏風」(ともに英一蝶)や「三味線を弾く美人図」(喜多川歌麿)などを寄贈したコレクターがウェルドだ。

 大金持ちの外科医だった彼は、世界旅行の途中、刀剣などの購入のために日本に立ち寄る。台風で船が壊れたために足止めされて滞在を延長することになり、コレクター仲間のアーネスト・フランシスコ・フェノロサらとともに日本中を旅行した。各地で美術品を購入しては、自身の日本美術コレクションに追加していった。

「このコレクションを寄贈してくれただけでも、美術館にとっては重要なコレクターなのですが、彼はさらなる贈り物をくれたのです」

●浮世絵も印象派も

 大変な富豪だったウェルドは、東京大学教授でボストン美術館の初代日本美術部長も務めたフェノロサのコレクションの一部も買い取ってボストン美術館に寄贈。フェノロサの手元に残り、死後に寄贈されたコレクションと合わせて、いまは「フェノロサ=ウェルド・コレクション」と呼ばれ、同館の日本美術コレクションの中核をなすものとなっている。

 フィンセント・ファン・ゴッホの「子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人」やセザンヌ、ルノワールなど、印象派の名画を寄贈したジョン・テイラー・スポルディングも、ボストン美術館にとって重要なコレクターの一人。

次のページ