東浩紀氏は光州と済州、二つの土地を巡り、あらためて感じたことがあるという(※写真はイメージ)
東浩紀氏は光州と済州、二つの土地を巡り、あらためて感じたことがあるという(※写真はイメージ)

 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
*  *  *

 8月末から1週間、韓国に滞在した。韓国南部の都市、光州で2年に一度開かれる現代美術の祭典、光州ビエンナーレに協力することになり、打ち合わせに招かれたのである。

 光州は1980年に大規模な民主化運動が起き、ときの軍事独裁政権と衝突して150人を超える死者を出した。当時は学生と過激派の暴動と見なされたが、その後見直され、いまでは民主国家韓国の出発点と認められている。95年に始まった光州ビエンナーレは、単なる文化事業ではなく、その名誉回復と深く連動した祭典だ。大規模な銃撃戦があった旧全羅南道庁は、いまは博物館に生まれ変わっている。

 今回の滞在では済州島にも足を延ばした。同島は、48年から7年間、軍や警察が関与した大規模な住民虐殺事件があったことで知られる。こちらも長く実態が知られてこなかったが、今世紀に入り真相究明が進んだ。いまでは島じゅうに事件関連の碑が立ち、大きな追悼公園も建設されている。

 光州と済州、二つの土地を巡り、あらためて感じたことがある。日韓では政治と記憶の関係が異なる。日本は水に流す、韓国は恨(ハン)を忘れないとはステレオタイプの日韓比較論だが、それにとどまらない差異がある。キーワードは「名誉回復」だ。光州でも済州でも、博物館の記述は、事件の概要だけでなく、真相究明の過程にも重点を置いている。歪められた事実が正され、真実が明らかにされ犠牲者の名誉が「回復」される、韓国人はその過程こそ重視している。だからときに大胆に歴史を見直す。元大統領に死刑判決を下すことも厭わない。日本にはそのような価値転換のダイナミズムは、よかれあしかれ存在しない。

 日韓どちらの態度が正しいのか、判断はむずかしい。ただ思うのは、これこそ両国のすれ違いの原因だろうということである。

 従軍慰安婦にせよ徴用労働者にせよ、韓国人が求めているのはじつは賠償や個々の日本人の謝罪ではない。名誉回復である。しかしそれこそが、日本人がもっとも苦手とするものなのだ。そもそも日本人は名誉がなにかすら忘れている。ないものを与えることはできない。

AERA 2017年9月18日号

著者プロフィールを見る
東浩紀

東浩紀

東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

東浩紀の記事一覧はこちら