AERA9月4日号 表紙の桑田佳祐さん
AERA9月4日号 表紙の桑田佳祐さん

 8月6日、桑田佳祐は茨城県ひたちなか市で開催された野外フェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2017」で大トリを務めた。数日後、そのステージを振り返った。

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 出演者の演奏が轟(とどろ)くステージの、すぐ真裏に楽屋はあった。出番が近づくと、絞り柄の衣装に着替え、桑田佳祐は芝生の上を歩き始める。この日の予定は1時間。通常のコンサートの3分の1ほどだ。

 メンバー全員で円陣を組み、想いを伝え、ステージの袖へ到着する。その姿、ゴングを待つボクサーのようだ。

 軽快なイントロとともに飛び出すと、地鳴りのような歓声が起こる。彼方まで人で埋め尽くされた景色は、桑田の目にどう映ったのだろう。

「普段と違うアウェーな場所に身を置くことは、大切なんですよ。でも、このフェスは15年ぶりですから、最初は面食らってね。場のニュアンスを読み切れてなかった。どうやって折り合いつけようかって、そう思いつつ歌ってましたよ」

 客層も、15年前とは違った。

「実は、もっと腕っぷしの強い、ロックなお客さんばかりだと思ったの。だからナメられないよう、渋めの選曲をしていったんです。でもいまや、アイドルと呼ばれる人たちも、立派にフェスのステージを務める時代ですからね。これなら最初から、『波乗りジョニー』とかやればよかったなって、ちょっと反省もしまして」

 長いキャリアがあっても「レジェンド」の座に安住することなく、反省の言葉を口にする。

「僕らの仕事はね、世の中の最大公約数をつかんで、いかに作品に反映するかなんですよ。でもそれは、絶えず変化する。しかも、変化の速度がどんどん速くなってます。大事なのは、“いかに動体視力を鍛えるか”でしょうけどね」

 歌の合間に幾度かステージで蹴り上げた足は、顔のあたりにまで達した。普段から摂生し、鍛えているからこそだろう。桑田佳祐というスポンジの表面は、いまも吸収力に長けている。(音楽評論家・小貫信昭)

AERA 2017年9月4日号