今も昔も、日本人は日本人論が大好きだ(※写真はイメージ)
今も昔も、日本人は日本人論が大好きだ(※写真はイメージ)

 AERA(2017年8月14-21日号)では「日本の境界線」について特集。「日本」といっても、東日本と西日本では言葉から味覚まで大きな違いがあり、時代、世代でもずいぶん異なる。お盆の時期、日本について考えてみよう。

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 今も昔も、日本人は日本人論が大好きだ。終戦直後から現在に至るまで、多くの「日本人論」が書かれている。

 戦後の「日本人論」はルース・ベネディクト『菊と刀』から始まる。西洋は「罪の文化」で、日本の特性は「恥の文化」であると論じた。アメリカは占領にあたり、日本人を総合的に把握する必要があったのだ。

 一方、敗戦の翌年に丸山眞男は「超国家主義の論理と心理」を岩波書店の雑誌「世界」に発表。敗戦へと至った歴史分析から戦後民主主義を見据えたマニフェストでもあった。

 1960年から72年ごろまでには、復興も進み、「日本人論」はブームになる。

 中根千枝は、上下関係を重んじる『タテ社会の人間関係』。子どもの母親への依存心の強さから日本人の特性を捉えた土居健郎の『「甘え」の構造』。『日本人とユダヤ人』はブームの火付け役となった。

 丸山の「ササラ」/「タコツボ」など、のちの「日本人論」の鍵となる考え方が次々に示された。

 その批判や新たな手法が発展するのが73年から85年。

 代表的な批判では「タテ」はエリートのもので、庶民の関係は「ヨコ」という『日本人の仲間意識』。新たな手法では、NHKの継続的な社会調査も始まる。

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