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「母ロス」でうつを発症 解決する方法とは

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by 野村昌二

中川葵さん(27)が母との思い出に大事にとっている、小学校から高校まで使っていた弁当箱を入れていた巾着袋。裁縫が得意な母が、縫ってくれたという(撮影/写真部・片山菜緒子)

中川葵さん(27)が母との思い出に大事にとっている、小学校から高校まで使っていた弁当箱を入れていた巾着袋。裁縫が得意な母が、縫ってくれたという(撮影/写真部・片山菜緒子)

小平知賀子さん(55)が母に抱き締められた最後の写真。母が亡くなる数日前で、この翌日から母の意識は低下し、会話もままならなくなったという(写真:本人提供)

小平知賀子さん(55)が母に抱き締められた最後の写真。母が亡くなる数日前で、この翌日から母の意識は低下し、会話もままならなくなったという(写真:本人提供)

 親の看取りは誰しもが経験するもの。しかし、ゆっくりと最期のお別れをすることができなかったと、後悔する人は多い。まだまだ元気だからと、話し合わずにいると、その日は急にやってくる。お墓のこと、相続のこと、延命措置のこと、そろそろ話し合ってみませんか? AERA 2017年7月10日号では「後悔しない親との別れ」を大特集。

 母親を亡くした時、「母ロス」と呼ばれる苦悩や悲しみに襲われる人は少なくない。精神的に母への依存度が高い日本では顕著だ。母ロスを乗り越えるには、どうすればいいか。

*  *  *
 遺影の母は、笑っている。

「笑っている写真にしたんです。だけど、見るとつらいです」

 中川葵さん(27)は、そう言うと涙ぐんだ。

 今年1月、最愛の母を亡くした。胃がんだった。がんが見つかったのは2015年冬。その時点で、ステージ3。

 治療すれば治ると信じ、母も治療に積極的だった。母とは離れて暮らしていたが、仕事が休みのたびに実家に戻り、母との時間を過ごした。しかし、昨年12月上旬ごろから母の病状は悪化し、入院。年が明けると体調は一気に悪くなり、最期は家族に看取られ亡くなった。享年59。

「もっと、一緒にいたかったです」

 中川さんにとって母は、どんな時も味方でいてくれ、支えてくれる存在だった。中学・高校と反抗期だったが、母は毎日弁当を作ってくれた。部活で朝が早い時も、朝ご飯を作ってくれた。

 大学を卒業するとCA(客室乗務員)になった。入社してすぐ、会社を辞めざるを得ない状況になったが、「その時はその時でしょうがないわ」と言ってくれた。そんな優しかった母の死を、まだ受け入れることができないという。

「いつも母のことを頭のどこかで思っている感覚です」

●寂しさはなくならない

 今も、ふとした瞬間に、悲しみのスイッチが入る。

 仕事中でも、自分たちと同年代の親子が搭乗してくると、「一緒にどこか連れていってあげたかったなあ」と思う。とくに母と過ごした実家に帰ると、さまざまな思い出が鮮明によみがえり、涙がこぼれるという。


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