国柱会は戦前、さまざまな考えを持つ人物を惹きつけていた。法華経の教えを通じて理想世界を実現するという考えは、理想郷「イーハトーブ」を繰り返し描いた熱心な信者でもある宮沢賢治の作品に影響を与えたとされる。右翼では「一人一殺」を唱え、1932年に血盟団事件を起こした井上日召が、田中智学の影響を受けていたとされる。

 満州事変を起こした陸軍軍人・石原莞爾も熱心な信者だった。世界最終戦争を経て世界が統一されるとする「世界最終戦論」にしても「満州国」建国にしても、色濃く影響を受けている。アジア主義に加えて農本主義的な色彩も強め、46年には山形県高瀬村(現遊佐町)の西山農場に移って農地を開墾し、思想を共有する人々と共同生活を送った。敗戦直後には「身に寸鉄を帯びず」と戦争放棄を唱えるなど思想の振れ幅は大きいが、国柱会への信仰は一貫していた。

●安倍現象は条件反射

「戦前の右傾化の流れの中で、いわゆる右翼の主流は社会の現状に強い不満を抱く一方、左翼の理想主義にも納得できず、第三の道を志向してきました」

 こう話すのは、田中智学の三男・里見岸雄が主に国体と日蓮を研究する機関として25年に創立した里見日本文化学研究所所長の金子宗徳氏(41)。日蓮系にせよ、右翼団体「大東塾」を39年に設立した影山正治に代表される神道系にせよ、近代批判と古代回帰を柱に文学運動を展開した日本浪曼派にせよ、人間や世界の在り方を問い直し、第三の道を探ろうとしたと指摘する。

「それと比べると、今は右傾化したと言われる割に第三の道を目指す動きは見られない。それどころか大半は、第三の道を探さなければならないと考えたことすらないのではないか」

 思想に基づいた保守、右翼の立場からこう話す。

「ネトウヨや安倍信者にしても、我々とは何か違う。率直に言わせてもらえば、『軽い』なと」

 外国人労働者の問題や外交・安全保障政策などについて同じような主張をしていたとしても、どこかしら相容れない部分があるという。これまでさまざまな保守系団体に関与してきたが、そこに集う人々との間に齟齬を感じたという。

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