「デコトラは元来、田舎の文化なんです。東京や大阪などの都会へお洒落して出かけるように、クルマも着飾って行きたい。運ぶモノは港なら魚、畑なら野菜という地場産業だから、みんな一匹狼の白ナンバー(個人所有)でよかった。都会には地場産業なんてないでしょ。でもバブルが弾けて緑ナンバーの営業車も仕事を選ばずに入ってきて、競合するようになった」(田島会長)

 いきおい、デコトラも実際に輸送業務に使う「仕事車」と、見せることに徹した「遊び車」という二極分化が進んだ。現在約500人の哥麿会でも、仕事車の割合は3分の1程度という。

「ダンプならスーパーゼネコンとか、魚を運ぶ車なら大手水産加工会社などはデコトラはNGというところがほとんどで、泣く泣く仕事車の飾りをやめてしまう人もいます。それでも仕事車を続けるには、理解のある取引先を探すという努力が不可欠になる。飾りも抑制の利いた渋い玄人好みになるし、生きざまを含めて、素晴らしい人が多いですね」(デコトラ取材経験豊富な専門誌カメラマン)

 高齢化で10年近く活動停止状態だったが、昨年復活した哥麿会東京支部は仕事車を飾るのがこだわりだ。4トン車に毎日築地で魚を積み、関東一円の市場やスーパーに運ぶ支部長の中山英樹さん(48)はこう言う。

「地元の先輩に憧れてデコトラに乗り始め、2トンから4トン、10トン車からまた4トンに戻って、これまで7、8台に乗ってます。排ガス規制が厳しくなって東京で車検が通らなくなったんで仕事で使うのは年々難しくなってますね。若いころは目立ちたい一心で電飾ド派手につけてキラキラやってたけど、最近は一緒に過ごす時間が一番長い相棒を飾ってやりたいという気持ちが強いですね」

●亡き兄の遺志を継いで

 いぶし銀が光る世界で、次世代も着実に育っている。群馬県太田市の委託ゴミ収集業者の秋山和也さん(25)とデコトラの出合いは、小学1年のときにコンビニで目にした雑誌だった。

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