飯能から川幅が広くなるため、飯能で二つの筏を一つにし、1人は飯能から山に戻る。地元の織物商の接待などに加え、木材商人が飯能の街で飲み明かすこともあったという。

 日も暮れ、かつての遊郭街に足を運んだ。あたりは畑屋横丁というらしい。「夜の飯能」と題された歌の歌詞が、木の板に貼り付けられていた。

「夜の酒場で のむ酒は 胸にじんとくる 君のうつり香 グラスのふちに そっと唇あててみる ああ飯能 夜の街」

 通りに入ると、2軒の料亭が残っていた。最盛期には二十数人の芸者がいたというが、今はどうなのだろう。遊郭街は建て替えられ、そのままの姿ではなかったが、明かりのついたスナックが数軒あった。

 スナックの一つに入ってみた。歌についてママに聞くと、歌って聞かせてくれた。

「お客さんはこちらにある工場や関係者ばかり。地元の人は来ません」

 若い人は職を求めて東京に。駅の南側に広がった農地は戦後、工場に変わった。かつてのにぎわいを知っているからこそ、また人が戻ってほしいと言う。

 飯能の駅に戻ったのは、午後8時を過ぎたころ。来年、飯能にはムーミンのテーマパークができる予定で、街の人たちは楽しみにしているという。そんなテーマパークがなくても、また足を運びたい。歩数計を見ると、1万5千歩を超えていた。(編集部・澤田晃宏)

AERA 2017年2月20日号