三浦さんが2階を指さす。丸い窓があった。遊郭の建物によくあるデザインだそうだ。

 表には旅館組合の看板が残り、以前は旅館として使われていたのだろう。だが、駅から徒歩5分程度の場所だ。今も当時の形を残したまま立つ姿に、目を閉じてタイムスリップし、往来の声に耳を傾けたくなる。

「社会散歩のしがいがあるのは歴史が残っている街だ。街道筋の問屋や遊郭などはその一例。再開発されると、個性のない街になってしまう。どんな人が住んでいて、何をしたかに思いをはせるのが面白い」

●住民の対立で鉄道誕生

 その後、遊郭の姿を再び垣間見たのは、地元の郷土館。武蔵野鉄道の開通式の様子を残す資料にこんな記述があった。

「式の後には宴会が行われ、芸妓(げいぎ)、酌婦(しゃくふ)など100名余も加わって未曽有の盛況ぶりであった」

 なぜ、鉄道が飯能から引かれたのか。その手がかりも郷土館にあった。きっかけは住民の対立。飯能から秩父まで道路を造ることになり、二つの谷の住民の間でどちらに道を造るかで対立が起きた。諸説あるが、そこに旧飯能町出身の大資本家であった平沼専蔵が二つの谷の住人に役立つよう、飯能に鉄道を通すことを提案。費用の半分を負担することを約束したことで対立は収まり、鉄道建設が進んだとされる。材木の産地から駅に至る道の整備の問題は残ったが、鉄道は材木の輸送量を劇的に伸ばした。平沼のような富豪などの出資もあり、政治的判断が飯能に鉄道を引き入れたのである。

 1日で飯能を知った気はしないが、街に手付かずのヒントが残り、それをひもといていくのは面白い。これが社会散歩か。

 対立する二つの谷を生んだ入間川。昭和のドラマからそのまま飛び出したような店にたどり着いた。創業65年を超えるという橋本屋だ。店先にある看板に三浦さんの目が留まる。「カラオケ」と書かれているが、文字のバランスを間違えたのか、最後の「ケ」だけが小さい。

 看板について店の橋本晴江さん(72)に尋ねると、

「子どもたちが笑って通り過ぎていくんです。いつかまた大人になって、『あの変な看板の店に行こう』と友達を連れて戻ってきてくれますよ」

●ムーミンが来る

 先ほど見つけた遊郭の一角についても聞いてみた。周囲にはいくつかあり、メインの場所は別にあると教えられた。

「山から木材を運び、飯能で一晩明かす。その時にどんちゃん騒ぎをしていたようです」

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