当選を決め、喜ぶ伊波洋一氏(中央)と翁長雄志・沖縄県知事(左から2人目)。大幅な基地の整理縮小を訴えた伊波氏が自民党現職に大差をつけて初当選した (c)朝日新聞社
当選を決め、喜ぶ伊波洋一氏(中央)と翁長雄志・沖縄県知事(左から2人目)。大幅な基地の整理縮小を訴えた伊波氏が自民党現職に大差をつけて初当選した (c)朝日新聞社

 与党が大勝した参院選。だが、沖縄選挙区と福島選挙区では安倍政権の現職閣僚が落選、被災地を含む東北でも野党統一候補が勝利した。異相の背景を探る。

 全国の選挙区で最も速い「当確」だった。

 参院選の投票が締め切られた7月10日午後8時。マスコミ各社は、沖縄選挙区で野党統一候補の伊波洋一氏の「当確」を競うように流した。改選数1の同区ではこの瞬間、自民公認の沖縄北方担当相、島尻安伊子氏の落選が確実になった。

 初当選を決めた伊波氏が真っ先に握手を交わしたのは、傍らの翁長雄志知事だった。伊波氏の選対本部筆頭共同代表を務めた翁長知事は、余裕の口ぶりでこう強調した。

「沖縄県民の良識の勝利だ」

●許さなかった争点回避

 沖縄選挙区は最終的に、伊波氏が35万6355票を集めたのに対し、島尻氏は24万9955票。10万6400票という大差だった。これにより、自民は沖縄の衆参選挙区で唯一の議席を失った。

 沖縄の政治アナリスト、比嘉良彦氏は伊波氏の勝因について、「安倍政権と翁長県政の代理戦争の側面が県民に明白」だった点を挙げる。

 島尻氏は選挙中、基地問題にはほとんど触れず、沖縄の振興策や県民所得の向上を訴えた。それでも沖縄の有権者は、両候補の明確な政策の違いである「辺野古」を争点回避することを許さなかった。

 その背景について、比嘉氏はこう指摘する。

「両候補は、沖縄では辺野古新基地建設の推進と反対の象徴的人物として知られています」

 伊波氏は普天間飛行場を抱える宜野湾市の市長時代から、辺野古新基地建設に反対し、県内移設なき普天間返還は可能だと訴えてきた「筋金入りの辺野古反対論者」だ。

 一方の島尻氏は、沖縄の有権者には辺野古新基地建設を強行する安倍政権の操り人形のようにしか映らなかった。

 それにはこんな経緯がある。

 2010年7月の2期目の参院選で島尻氏は普天間の県外移設を掲げて当選。「国会で県外・国外移設を求めて頑張りたい」と唱えていた。

 ところが、第2次安倍内閣が発足すると、態度を豹変させる。13年4月の参院予算委員会で「沖縄の取るべき道は、間違いなく日米合意の道だ」と表明。沖縄で「県外」を掲げて当選した自民党国会議員5人の先陣を切る形で公約をかなぐり捨て、辺野古推進に邁進する。

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渡辺豪

渡辺豪

ニュース週刊誌『AERA』記者。毎日新聞、沖縄タイムス記者を経てフリー。著書に『「アメとムチ」の構図~普天間移設の内幕~』(第14回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞)、『波よ鎮まれ~尖閣への視座~』(第13回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)など。毎日新聞で「沖縄論壇時評」を連載中(2017年~)。沖縄論考サイトOKIRON/オキロンのコア・エディター。沖縄以外のことも幅広く取材・執筆します。

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