“立派なおじいちゃん”は沖縄戦で自決した司令官だった (2/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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“立派なおじいちゃん”は沖縄戦で自決した司令官だった

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AERA#沖縄問題
牛島貞満(うしじま・さだみつ)/1953年東京都生まれ。沖縄戦と地続きで生きてきた。沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」ことだと訴える(撮影/伊ケ崎忍)

牛島貞満(うしじま・さだみつ)/1953年東京都生まれ。沖縄戦と地続きで生きてきた。沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」ことだと訴える(撮影/伊ケ崎忍)

牛島家に保管されている牛島満司令官の肖像画。貞満さんは沖縄戦の平和学習の教材に活用している(撮影/伊ケ崎忍)

牛島家に保管されている牛島満司令官の肖像画。貞満さんは沖縄戦の平和学習の教材に活用している(撮影/伊ケ崎忍)

●自決した司令官の命令

 天皇の「玉音放送」が流れた8月15日以降も、沖縄では日本兵による「斬り込み」が相次ぎ、戦死者はさらに膨らんだ。9月7日、マッカーサーの命令で沖縄守備軍の代表が現在の嘉手納基地で降伏文書に調印する。

 なぜ調印が必要だったのか。牛島司令官の「最後まで敢闘し」の命令と、本来武装解除を伝えるべき司令官の「自決」により、沖縄守備軍の兵士は戦闘し続けなければならなかったのだ、と牛島さんは解説する。

 6月23日は、沖縄戦の組織的な戦闘が終結した日として「慰霊の日」と定められている。だが、牛島さんには腑に落ちない面もある。

「6月23日以降の戦闘は何だったのか。彼らは勝手に戦闘して死んでいったのではない」

 牛島さんは、当時の「本土」のマスコミ報道にも注目する。

 6月25日に大本営が「全戦力を挙げて最後の攻撃を実施せり」と発表すると、派手に書き立てていた本土の沖縄戦の地上戦報道がピタリとやむ。8月15日以降は「戦後」が始まり、「沖縄」が本土メディアに取り上げられることはほとんどなくなった。

「『本土の防波堤』の役割を終えた沖縄に対して、本土の人々の関心は向かなかったのです」

 全国メディアの「沖縄」の伝え方は今も、「他人事」だと牛島さんは指摘する。

「沖縄で米軍の事件事故が起きると、本土マスコミの多くは『沖縄の人たちが怒っている』と書く。基地被害や戦争と隣り合わせの現実を、自分たちの問題と感じる意識が決定的に欠落しています」

(編集部・渡辺豪)

AERA  2016年6月27日号


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