法の学問的実証性を強調し、その厳格さにこだわったケルゼンの思想は、第2次大戦後のヨーロッパ先進国の法整備に影響を与えた。教えを受けた浅井が、日本で極めて先鋭的な学者だったことは想像に難くない。

 だが、帰国して戦争が始まると暗雲がたちこめる。浅井が「天皇機関説」を主張していたからだ。天皇は君主や議会や裁判所と同じ「機関」に過ぎない。車で言うならエンジンだ──。

 浅井が、美濃部達吉ら、多くの憲法学者とともにそう訴えたところ、「天皇をエンジンとは何ごとか」という批判が巻き起こった。1994年の朝日新聞で、浅井の長男が当時の父についてコメントしている。

「リベラル派で軍ににらまれ、不遇だったらしい」

 しかし、明けない夜はない。終戦を迎え、不遇の学者に託された仕事が『あたらしい憲法のはなし』の執筆だった。浅井は著書に記している。

「嬉々(きき)として学校へ通う子供たちの姿を見るにつけて(中略)正しい憲法の知識を持たせる唯一の機会が著者に与えられたことに感激を覚えた」

(文中敬称略)

AERA  2015年9月28日号より抜粋