高度成長支えた「1940年体制」 戦後も生き残った理由 (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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高度成長支えた「1940年体制」 戦後も生き残った理由

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野口悠紀雄さんのぐち・ゆきお/1940年生まれ。72年、イェール大学Ph.D取得。東京大学教授などを経て、早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問(撮影/編集部・宮下直之)

野口悠紀雄さん
のぐち・ゆきお/1940年生まれ。72年、イェール大学Ph.D取得。東京大学教授などを経て、早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問(撮影/編集部・宮下直之)

 昭和の高度成長を実現したのは、戦時型のシステムだった。戦後日本の出発点を知ることで、いま取り組むべき課題が明らかになる。早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問で、自身も1940年生まれの野口悠紀雄さんが「1940年体制」について語った。

* * *
 係長は、34年組だった。課長補佐は31年組で、トップの事務次官は12年組。野口悠紀雄さんは、1964(昭和39)年に大蔵省(現・財務省)に入省したから、39年組ということになる。入省年次によるヒエラルキーは、頂上まで滑らかに続いていた。もちろん、敗戦の年に入省した20年組の上司もいた。

「切れ目なく連続していました。驚くべきことに、大蔵省に敗戦はなかった」(野口さん)

 その驚きが、「1940年体制」を着想する原点になった。

 GHQによる戦後改革を経て現在の日本があるとすると、戦中と戦後を隔てる大きな断絶が45年にあったことになる。しかし、野口さんが着目したのは、戦時中の40年前後に導入された一群の施策だ。それらは産業界から金融、財政、官僚制などに及び、戦時総力戦体制を支えた。

「敗戦時でなく、40年前後にこそ大きな断絶があり、そこで日本は戦前の体制とまったく違うものになった。この差は5年間しかないが、質的に非常に重要だと思います」(野口さん)

 大蔵省に敗戦の年の断絶がなかったように、日本経済にも敗戦による断絶はなかったというのが「1940年体制史観」だ。


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