加川さんは震災発生2日後、親戚の消息を求めて海岸へ向かった。その時の光景を描いたのが、第1作「雪に包まれる委被災地」。その後、鎮魂と故郷再生への希望を込めて2作目「南三陸の黄金」を描いた(撮影/桝郷春美)
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加川さんは震災発生2日後、親戚の消息を求めて海岸へ向かった。その時の光景を描いたのが、第1作「雪に包まれる委被災地」。その後、鎮魂と故郷再生への希望を込めて2作目「南三陸の黄金」を描いた(撮影/桝郷春美)

 宮城県出身の画家、加川広重さんは、被災地に実際に足を運んで感じたことを巨大画に描く。その絵を見ると、心が震える。

 縦5.4メートル、横16.4メートルの巨大な画面に、異質な光景が横たわる。水素爆発で破壊された東京電力福島第一原子力発電所の原子炉建屋。1、3、4号機の要素を複合し、建屋の中に汚染された荒野やさまよう牛やイノブタ、汚染土を詰めた黒い袋などを描き込んだ。実際にはありえない構図だが、宮城県蔵王町出身の画家、加川広重さんが現地で見た光景や、違和感を投影している。

 タイトルは「フクシマ」。カタカナなのは、理由がある。

「原発事故に限定して描いているのであり、福島県全体とは別。そこを誤解してほしくない」

 加川さんのもとに福島県浪江町の住民から一通のメールが届いたのは、2013年秋。「ぜひとも故郷を追われた者の想いを描いていただきたいと切望いたします」と書かれていた。被災地の現状を見て、実感した上で描きたいと思い、加川さんは住民の一時帰宅に同行した。第一原発から約7キロ、海沿いにある浪江町請戸では雑草がぐいぐい伸びて、打ち上げられたままの漁船や逃げ遅れた車の残骸などが錆びた姿で残っていた。町内の牧場主はこう訴えた。

「家畜たちの殺処分を命じられた。無駄死にさせられない。生かすことで被曝研究に役立ててほしいと国に主張しているが全く聞き入れてくれない」

 住民たちの声を聞き、加川さんは感じたという。

「住民の方々の怒りや悲しみが僕の中に入り込み、『原発を直接的に描いてやろう』という思いがこみ上げてきました」

 今年1月、「フクシマ」などの作品を展示したイベント「加川広重 巨大絵画が繋ぐ東北と神戸2015」が神戸市で開かれた。そこに福島県南相馬市の県立小高工業高校3年、原裕生さんと鈴木淳也さんが来ていた。同校は原発事故以降立ち入りが制限されている地区にある。

「絵画は、現状をそのまま見ているようで怖いと感じました。仮設校舎でも学校生活は楽しいですが、外に出ると除染で出た廃棄物などを見ます」(原さん)

AERA 2015年3月30日号より抜粋