本棚二つでは収まらないほどの参考書を集め、これらが桜井さんの予習や佳織さんの勉強を支えた。教材には、手作りのプリントや模型も(撮影/編集部・宮下直之)
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本棚二つでは収まらないほどの参考書を集め、これらが桜井さんの予習や佳織さんの勉強を支えた。教材には、手作りのプリントや模型も(撮影/編集部・宮下直之)
佳織さんと一緒に解いた問題集。「学力より動機付けが重要。盛り上げ役は向いています」(桜井さん) (撮影/編集部・宮下直之)
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佳織さんと一緒に解いた問題集。「学力より動機付けが重要。盛り上げ役は向いています」(桜井さん) (撮影/編集部・宮下直之)

 昼は仕事、夜は娘に受験勉強を教え、睡眠時間を削って娘のための予習に費やす。最難関中学を目指す父の胸中とは。

 深夜、算数の問題集を前にした桜井信一さん(46、仮名)は、自宅でたった一人、頭を抱えていた。旅人算って、どう考えればいいのか。

 歩いている太郎君を、次郎君が走って追いかける。何分後に追いつくか──答えを導く過程で、なぜ速度同士を引いたり足したりするのか。そうして計算した速度で、どうして距離を割るのか。その理由がわからない。中学受験の問題となると、さらに複雑だ。目的地に着いたと思った太郎君はすぐさま折り返し、帰り道で次郎君と出会う。

 腕組みしていた桜井さんが頼りにするのは「経験」だ。このときは、すごろくと結びつけた。

「すごろくならば、追いかけることも、逆方向に行くこともある。速度をサイコロの目と考えれば、すべて説明がつく」

 こうした工夫や努力はすべて、長女の佳織さん(13、仮名)のためだ。アイデアを元にした図入りのプリントや模型などを手作りして、佳織さんに問題の解き方を説明してみせるのだ。

 2011年9月、桜井さんと当時小学5年生だった佳織さんは、女子の中学受験の最高峰、桜蔭学園への合格を目指して勉強を始めた。このときの偏差値は41。この年の6月の全国テストで、2万6393人中、2万番台だった。“受験技術”をまったく身につけていないのだから、当然の結果だろう。しかし、そこからなぜ中学受験を決意し、目標を桜蔭学園に定めたのか。

 学歴と職業、年収が分かち難く結びついたこの社会。高校を中退し、“中卒”として働き続けてきた桜井さんは、肉体労働から営業、調理まで「求人誌に載っているほとんどの仕事は経験してきた」。40代で1千万円以上の年収を得ている「エリート」と比べれば生活は厳しかったが、お金以上に欠けているものがあると感じていた。

「中卒には人生の“出番”がない。お金がないつらさは耐えられるが、私には都心をスーツで歩くビジネスマンが輝いて見える。その舞台には立てないと思うと、すごく悔しいんです」

 桜井さんの妻、香夏子さん(仮名)も中卒。「人生は最初が肝心」と痛感していた。佳織さんにとっては、今が人生における「最初」だった。中学受験を人生の「流路変更工事」に例える桜井さんは、東京大学に毎年数十人を送り込む桜蔭学園への入学を、その「起爆剤」にしようとした。

AERA 2014年10月13日号より抜粋