錦織が俊敏で、フォアハンド、バックハンドとも優れた万能型であることは、トップ選手たちの誰もが認める。「次世代を担う期待の若手」という評価は、世界から集う報道陣も衆目の一致するところだ。

●13歳で米留学昔から世界基準

 4回戦でラオニッチに勝った後の感想はこうだった。
「なかなか喜べないですね。決勝に行くまでは。自分の位置を把握し始めて、上までいかないといけないというプレッシャーを自分にもかけてやっている。まあ勝てない相手はいないと思うので、上を向いてやりたい」

 1世紀の空白を埋めるような歴史的な快挙を果たしながら、錦織は全く浮かれていない。

 4強入りの感想はこうだ。
「油断せず決勝までいきたい」

 1989年生まれの錦織にとって、戦前の偉人たちとの比較を聞かれても、ピンとこないのは無理もない。
95年の松岡修造のウィンブルドンのベスト8にしても、当時、5歳だった錦織の記憶にはない。

 そもそも、13歳で故郷・島根県松江市から米フロリダ州のIMGアカデミーにテニス留学し、以来、米国を拠点とする錦織には「日本基準」という尺度がない。世界に羽ばたくグローバルな逸材を、ドメスティックな枠組みに押し込むのは失礼な話なのだろう。

 2年ほど前、錦織に聞いたことがある。
「男子テニス界で『日本人初』ともてはやされるのってどう?」
 彼は、どこか申し訳なさそうに、苦笑しながら言葉を選んだ。「えらそうな言い方だと誤解されると困るんですけど、昔から世界を基準に考えて戦ってきたので、日本人初という感慨はあまりない。今後達成することは、すべてそうですし……」

 小学校の卒業文集に書いた。
「夢は世界チャンピオンになることです」

 父・清志さんは言う。
「妄想とか、夢想とか思われたかもしれないけれど、やるなら世界一と思ってやってきた。10位をめざしても仕方ないし。圭は素直な子だから、本気でめざしてきた。そこがあいつのすごいところ」

 父子が見つめてきた到達点は、錦織圭が5歳でテニスを始めたときから変わっていない。

 もう、すぐ近くにある。

AERA 2014年9月15日号