錦織圭 (c)朝日新聞社
錦織圭 (c)朝日新聞社

 「日本人初」とたたえても、世界基準の錦織圭には失礼だろう。小学校の卒業文集に書いた夢「世界チャンピオン」は、もう目の前にある。

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 セットを重ねるごとにアーサー・アッシュ・スタジアムのコートを影が覆っていく。日が傾き、夕暮れが訪れた。
 テニスの全米オープン、男子シングルス準々決勝、錦織圭とスタン・ワウリンカ(スイス)の死闘はフルセットにもつれ込み、4時間を超えていた。
 体力は限られていた。錦織が振り返る。「リターンゲームで動けなかった」 無理もない。前日の午前2時26分までミロシュ・ラオニッチ(カナダ)と4時間19分の死闘を演じ、日本人では1922年の清水善造以来の8強入りを果たしたばかりだった。

●派手ポーズなく「意外と冷静」

 第5セット第10ゲーム。15─30から全豪オープン覇者が痛恨のダブルフォールト。錦織に2度のマッチポイントが訪れ、その2本目で、日本男子では1918年の谷一弥以来の4強入りが決まった。

 意外にもというか、錦織らしいというか、派手なガッツポーズはなかった。「疲れていて喜ぶ元気がなかったので。チームのボックス席を
見たら、みんな跳び上がってましたけど」

 記者会見で錦織は言った。「意外と冷静でした」

 3回戦に勝った後、2008年に世界ランク4位(当時)のダビド・フェレール(スペイン)を破り、ベスト16 に進んだときを振り返ってもらった。
「18歳のときはフェレールに勝って、ほぼ満足して上の空の状態で次の試合を戦った。今は当たり前と思う。まだまだ先は長い、という感じ」

 当時は世界ランク126位。今は11位。今年5月には9位とトップ10の壁も破った。

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