持株会社制移行5周年記念で作られた日清食品グループの商品型名刺。ちゃんと名刺入れに入る。「もらう側が戸惑うのではと不安だったが意外と好評」だという(撮影/高井正彦)
持株会社制移行5周年記念で作られた日清食品グループの商品型名刺。ちゃんと名刺入れに入る。「もらう側が戸惑うのではと不安だったが意外と好評」だという(撮影/高井正彦)
クッキー名刺を製作しているのは創作菓子店シリアルマミー(東京都杉並区)。保険の外交員などからも注文があるという。名古屋市の株式会社ありがとうは、落花生に名刺情報を刻印してくれる(撮影/高井正彦)
クッキー名刺を製作しているのは創作菓子店シリアルマミー(東京都杉並区)。保険の外交員などからも注文があるという。名古屋市の株式会社ありがとうは、落花生に名刺情報を刻印してくれる(撮影/高井正彦)

顔写真やイラスト入りは、もう当たり前。定型にとらわれないばかりか、食べられる名刺も登場している。制約から解き放たれて、名刺の軸足が変わっている。(編集部・塩月由香)

 あなたは最近、名刺を整理したり保存したりしていますか?
 多くの人はしているはず。でも、元は区議だったという東京都内の男性(36)は、数年前に紙の名刺の保管をやめたと話す。
「名刺交換をした人には、その後たいてい、メールを送ったり、フェイスブックで友達申請をしたりします。それでちゃんと連絡がつけば、名刺の大半はシュレッダーにかけています」
 いまや仕事にメールは欠かせないし、ビジネスユースの多いフェイスブックは、少なくとも月に1度はアクセスする利用者が2100万人(2013年末現在、国内)。このうち6割強の約1400万人はほぼ毎日アクセスする。

●100枚で10万円

「検索」すれば、一度でも付き合いのあった相手にはほぼ、連絡がつく時代。もらった名刺に日付を書き込みファイルに整理することをやめてもビジネスに支障はないし、むしろ合理的だ。
 そうなると何が起きるか。もしかして紙の名刺がなくなる?
 キンコーズ・ジャパンのマーケティング部によれば、
「予想に反して、この1、2年、名刺印刷の受注は好調です」
 特に2013年度は、消費増税前の駆け込みもあって、前年度比120%を売り上げた。目立ったのは、従来の既存フォームの利用ではなく、自分でデータを持ち込む人の増加だという。
 横浜市で活版印刷や特殊加工の名刺を受注するデザイン印刷会社アクトンセイクの寒作(かんづくり)直樹社長もこう話す。
お金をかけても、凝った名刺、誰も持っていない名刺を作りたい人は増えていると思います」
 09年からインターネットで特殊加工の受注を始め、売り上げは5年で10倍。顧客はデザインデータ持参の個人事業主が多く、主流は100枚で1万~2万円台だが、素材に凝ったり2枚重ねにして飾り窓をつけたりした100枚10万円の名刺を注文した会社社長もいたという。
 整理して保存しようと思うと、名刺は決まったサイズでなければならないが、そこから解放されればあり方は無限大だ。
 経済ジャーナリストでフリーキャスターとしても活躍する谷本有香さん(41)は、テレビ局から独立したときに、深紅の紙にゴールドの英文字をあしらったカード入れに、名前やメールアドレスのほかに英語の自己紹介なども盛り込んだ小さなカードを複数枚差し込む、オリジナル名刺を作った。

●人気商品をかたどる

 デザイナーと構想半年。米国でMBAを取得していて経済と英語に強いことと、自身の情熱が伝わるように苦心した。カード入れごと手渡されると、まるでプレゼントだ。仕事で外国の要人にも会うが、
「驚かれなかったことがない。仕事の幅も広がり、人にも覚えてもらえるこの名刺は、運と縁をつなぐツールです」
 コストをかけて名刺に単なるネームカード以上の役割を持たせる動きは、企業にも見られる。
 日本マクドナルドは05年から、マックフライポテトやマックシェイク、ビッグマックなど人気の5商品をかたどったカラーの名刺を導入した。今年、ポテトとポテトが手をつなぐ新デザインを追加し、全6種類。全社員が全種類を持ち、相手に喜ばれそうなものを渡す。
 同様に日清食品グループは13年秋から、カップヌードルやどん兵衛など代表的な商品23種類の形をした名刺を使う。事業会社や部署によって持つ名刺が違い、名刺交換で1枚、2枚と手にすると、もっと集めたくなる。
 レシピ投稿・検索サイトのクックパッドの名刺は、個々の社員の「一番好きなレシピ」入り。12年に導入し、キッチンで実際に料理を作ってもらえるようにと、防水加工までする念の入れようだ。
 名刺交換の場で会話が弾むようになったのはもちろん、マクドナルドでも日清でも、顧客がビッグマックやカップヌードルとの思い出を自然と話してくれるようになった。結果的に、
「自社のブランド力を再認識する機会が増えました」(日清の広報担当者)
「沖縄出身だから」とゴーヤーチャンプルーのレシピ入り名刺を持ち歩くクックパッド買物情報事業部の沖本裕一郎部長は、「なぜこのレシピを選んだのか」という話から故郷や家族の話まですることが増え、相手からも家族の話を聞くことが増えた。
「初対面でも相手との信頼関係を築きやすくなりました」

●クッキーに社名と名前

 名前と連絡先を伝えるためのものから、会話の糸口を生み出すものへ。名刺に求められる役割の軸足が、変わっているのだ。
 この流れを加速させるサービスも、じわじわと浸透している。
 Sansan(サンサン)は、名刺をクラウド上で管理するサービスを提供する会社。07年に始めた法人向けサービス「Sansan」を使えば、名刺をスキャンしたりスマホで写真を撮ったりするだけで名刺に書かれた情報がサーバーに保存される。顧客は2千社に届く勢いで、12年に始まった個人向けアプリ「Eight」も、すでに契約者数50万人。ユーザーは、13年になって急増した。
 このSansanの社員の名刺は、クッキーでできている。今年3月の本社移転を機に、役員と、広報など一部の社員が使い始めた。サクッとした歯ごたえにバターの風味がほどよい厚さ5ミリのクッキーに、社名や名前が吹き付けられている。
「お会いして名刺交換をした方とは弊社アプリ上でも名刺交換しますし、アプリをご利用でない方にはアプリの招待メールをお送りしますので、食べていただいていいんです。弊社アプリがこのクッキーの文字を認識できることも、確認済みです」(広報部・磯山江梨さん)
 老舗もこうした動きを無視できなくなった。名刺や封筒など紙製品の総合メーカー・山櫻も、5月から法人向けにバナナやコーヒーなどの匂い付き名刺の販売を始めるほか、夏には名刺版フェイスブックのようなクラウド管理サービスに乗り出す。市瀬豊和社長はこう意気込む。
「肩書が変わっても相手とのつながりが続くようなサービスを構築して、名刺交換の歴史を変えたい」
 1年後、名刺はどんな素材、どんな形になっているのか──。

AERA  2014年4月28日号