ストーンズが人生変えた? ファンの悲喜こもごも 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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ストーンズが人生変えた? ファンの悲喜こもごも

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池田裕司さん(60)レコード会社主導ではない、独立系のファン組織を運営(撮影/今祥雄)

池田裕司さん(60)
レコード会社主導ではない、独立系のファン組織を運営(撮影/今祥雄)

来日に先立った「ストーンズまつり」では、会報誌を無料配布。「最後の来日」だからなのか(撮影/今祥雄)

来日に先立った「ストーンズまつり」では、会報誌を無料配布。「最後の来日」だからなのか(撮影/今祥雄)

 伝説的人気バンド「ザ・ローリング・ストーンズ」。メンバーの平均年齢は70代に突入し、それに伴いファンにも「親の介護」事情がついてまわるようにもなってきた。それでも、追い続けるファンたちは多い。

 2千人の会員を誇る、日本最大のファンクラブ「日本ローリング・ストーンズ・ファン・クラブ」は、会報誌の発行などを行うかたわら、ライブハウスでのイベントも行ってきた。5代目会長を40年間務める池田祐司さん(60)も、「親の介護で、ストーンズどころではない」という声を聞いてきた。そんな池田さんも、ヤワな人生を送ってきたわけではない。

 水産会社を経営する父のもとに生まれた。一橋大学卒業後、社会人経験を積むために「日魯漁業(現マルハニチロホールディングス)」に入社し主計部主計課に配属。37歳で父の会社を継ぐ。マグロ漁船10隻ほかを保有する会社の経営を任されたのだが、現場たたき上げの漁師らのマネジメントに神経を使った。

 経営者人生で最大の危機は、アフリカのアビジャン沖で操業中の船内で起きた。航行中に、船員間のトラブルによる拳銃射殺事件が勃発。従業員1名の命が失われた。池田さんは、第1報を日本で聞き、血相を変え、漁船の寄港先ブラジル・レシフェ行きの飛行機に飛び乗った。

 現地では、遺族への連絡、情報収集、警察対応で、忙殺された。知らない土地で右も左もわからないなか、フェルナンドという男性ドライバーの運転する1台のタクシーに乗ると、ストーンズのアルバム「ヴードゥー・ラウンジ」(1994年)がステレオから響いてきた。池田さんはこう口にしていた。

「俺、ストーンズとダチなんだ」

 来日時はもちろん、海外ライブにまで足を運び、呼びだされて、ミック・ジャガーから「曲間の挨拶を日本語でしたい。何をしゃべったらいいか」と尋ねられたこともあった。

 フェルナンドは目を丸くし、こう言って驚いた。

「ダチって……あんたホントか」

 その日を境に、フェルナンドは池田さんの現地秘書を買って出るようになった。

「その後、わたしも大病を3度やりました。会社は6年前に売却しました」

 そう言って池田さんは、ファンクラブ事務所に戻っていった。間もなく行われる東京ドーム公演で、「ステージ前のファンクラブ人員をどう配置するのかを決める」と、息巻く。活きのいい連中を前列に配置し、現場を盛り上げるのだと笑った。

AERA  2014年3月3日号より抜粋


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