東京に背を向けた「関西の視聴率男」。その死を在京のスポーツ紙の多くが一面トップで大々的に報じ、テレビ番組でも相次いで伝えた (c)朝日新聞社 @@写禁
東京に背を向けた「関西の視聴率男」。その死を在京のスポーツ紙の多くが一面トップで大々的に報じ、テレビ番組でも相次いで伝えた (c)朝日新聞社 @@写禁

「関西の視聴率男」として圧倒的な人気を誇ったやしきたかじんさんの訃報が1月7日に伝えられ、関西圏を中心に大きなニュースとなった。

「やしきたかじん」を知らない関西人は、まずいないだろう。歌手として活躍する一方、大阪のテレビを舞台に歯に衣着せぬ毒舌トークで長年抜群の人気と影響力を誇った。

 なのに東京のテレビで「たかじん」の顔を見ることはまずなかった。見たければネットの動画サイトで検索するしかなかった。極端な知名度の東西落差。だが皮肉にも、その死を東京のメディアが大々的に報じたことで、彼の名と顔は首都圏でも知られるようになったのだ。

 大阪市生まれ。大学中退後に歌手デビュー、1980年代半ばからトーク番組のパーソナリティーとなり「関西のテレビの顔」に。12年1月に食道がんとわかり芸能活動を休止、一度は復帰したが再び休養、この3日に亡くなり7日、事務所が発表した。享年64。

 亡くなった時に持っていたテレビの冠番組は三つ。中でも有名なのは、日曜昼では異例の高視聴率を稼ぐ「たかじんのそこまで言って委員会」(委員会、2003年~、読売テレビ)だ。関西だけでなく東北や九州など全国20局以上で放送されている。「天皇制」「従軍慰安婦」といった硬派のテーマにパネラー8人が侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を戦わせ、東京なら放送からカットされそうな発言も時に飛び出す。

「そこまで言っていいの?というぐらい思い切った意見を言える規格外の番組。発言を途中で遮られることもない」(北方領土問題などがテーマになった時に出演した木村三浩・民族派団体「一水会」代表)

 番組は首都圏で放送されていない。11年の雑誌インタビューで彼は番組の人気の理由を、

「『言い切り』やろね。ぶつかっても通す。今の日本に一番ないものでしょ。政治家に対しても、関西人が一番好きなのは正しい、正しくない以上に『言い切り』。これは関西的な風土ですね。これを東京で流すと、みんなの発言が2割減になる」
「東京でやると『言い切る』ことを阻害される。言葉狩り的な圧力がかかってくるからです。いろんな人からなんべんも『東京でやらせてくれ』と言われます。でも『それはできない。そうなったら辞めます』と答え続けてる。言い切った部分が『カット』されるんやったら、言い切った意味もない」

 と答えている。

 その東京に、たかじんさんは進出したことがある。80年ごろラジオ番組にレギュラー出演したが間もなく大阪に戻った。2度目は92年、「ビートたけしがなんぼのもんじゃい」と吠え、再び東京でレギュラー番組を持った。だが番組の料理コーナーで使う予定だった「味の素」がないのに激怒、セットを壊す大立ち回りを演じるなどし、半年で東京から撤退。制約が多くシステマチックに作り込む東京の番組制作に我慢できなかったようだ。

「乱暴に見えても優しさが行間にある言動は東京では受け入れられなかった。東京への感情は愛憎半ばしたものだった」(「委員会」で相棒役だったフリーキャスターの辛坊治郎さん)

 彼の最もヒットした曲「東京」の一節に、こうある。

 悲しくて 悔しくて
 泣いて泣いてばかりいたけど
 かけがえのないひとに
 逢えた東京

AERA 2014年1月20日号より抜粋