マグロが日本の食卓でなじみとなったのはここ20年。江戸前の寿司といっても、昔はトロではなく赤身を醤油に漬けた“ヅケ”が主流だった(撮影/写真部・松永卓也)
マグロが日本の食卓でなじみとなったのはここ20年。江戸前の寿司といっても、昔はトロではなく赤身を醤油に漬けた“ヅケ”が主流だった(撮影/写真部・松永卓也)

 毎年、大きな話題になるマグロの初競り。高額入札の応酬が注目を集めるが、この“初競りマグロ劇場”には仕掛け人とされる人物がいる。

 それが香港に本社を構える「板前寿司」代表、リッキー・チェン(45)だ。

 板前寿司が築地の初競りに初めて参加したのは2008年。外国人として初めて、その年の最高値607万円(1キロ2万2千円)の大間産本マグロを競り落とした。

 リッキーは、「香港の寿司王」の異名をとる。19歳で寿司職人に憧れて来日。いつか世界中の人にリーズナブルな値段で本格的な寿司を食べさせるという夢を抱く。その後、本のご当地ラーメンである「味千ラーメン」のチェーン展開を香港で成功させ、寿司ビジネスへ参入。青年実業家となって再び来日したが、信用こそが物をいう封建的な“河岸社会”では辛酸をなめる。築地でマグロを購入しようとしても、外国人というだけで門前払いされた。

 そんな矢先、日本で海産物の流通ビジネスを手掛ける中村桂(40)と出会う。リッキーは中村を通じて日本の水産業界に独自のパイプを確立し、香港で「板前寿司」を創業。07年には東京・赤坂に日本第1号店をオープンした。

 ところが、「中国人が経営する寿司チェーン店」「香港から逆輸入された寿司」。ネットでの風評だけが独り歩きした。和モダンの豪華な内装も当初は受け入れられなかった。かつてテレビディレクターだった中村はあるアイデアを思いつく。

「初競りで最高値の国産本マグロを買ってマスコミに取り上げてもらえば、うちが普段から国産本マグロを使っていることを知ってもらえる。初競りはその象徴の日になる」

 テレビを通じて視聴者の食指を動かすには、最高値で競り落としたマグロの店頭での「解体ショー」が有効だ。この戦略が大当たり。一夜にして「板前寿司」は行列のできる人気店になった。

AERA 2013年1月28日号