『白鶴亮翅』多和田葉子著
朝日新聞出版より発売中

 多和田葉子の最新作『白鶴亮翅』は、「朝日新聞」(二〇二二年二月一日から八月一四日)に連載された、初の新聞小説である。私はこの小説を隣人小説として読んだ。

 ベルリンのある地区に引っ越してきたばかりの翻訳者・美砂は、コーヒーを飲もうとするが、煎れるための道具がどのダンボール箱にあるのかわからない。気分転換に散歩でもしようと出た裏庭でめぐりあったのが隣に住むMさんだ。勘が鋭く、優しいMさんとの、コーヒーをめぐる不思議な意思疎通がきっかけで、その日、美砂はMさんの家でコーヒーを飲み、話し込むことになる。近所の喫茶店で二度目に出会ったとき、Mさんは自分の子どもの頃の話をする。Mさんは、現在では、ポーランド領にも、ロシア領にも、リトアニア領にもなっている東プロイセンで生まれ、終戦後、ドイツに引っ越してきたという。戦後を生き抜いたMさんの物語に私は引き込まれた。この小説では、その街に住む隣人の誰しもに、それまでの人生があり、それぞれが歴史を背負っているということが描かれている。考えてみると、多和田の小説にはいつも、歴史という縦の糸と、同時代という横の糸が張りめぐらされている。

 新聞連載が終わったのちに行われたドイツ文学者の松永美穂との対談でも、多和田は、『白鶴亮翅』では「歴史」が重要な主題だと話している。一九九一年に群像新人文学賞を受賞した「かかとを失くして」以来、多和田は躓く登場人物たちを描いてきた。『白鶴亮翅』の語り手である美砂も、やはり躓きやすく、転びやすい。多和田は、松永との対談のなかで、「一歩一歩自分の立ち位置を確かめていく」(「朝日新聞」二二年一〇月三日朝刊)ことが大事だと指摘している。誰がどの位置からどう歴史を語るのか? 過ちを犯し、躓いた過去を修正してしまってよいのか? 『白鶴亮翅』の美砂とMさんとのやりとりはそうした問いを思い出させてくれる。一歩一歩を踏みしめるように、歴史をひとつひとつ調べ、記憶してゆくことこそ、異なる背景を持った隣人と一緒に暮らしてゆくためには必要なことだ。

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