谷崎潤一郎、川端康成、夏目漱石、森鷗外、三島由紀夫......多くの文豪たちは京都に魅せられ、その情景を小説に、エッセイに書き綴ってきました。



 本書『文豪と京の「庭」「桜」』では、文豪たちの記した実際の文章を紹介しながら、彼らがどのように京都をとらえ、描写したのかをみていきます。



 たとえば、枝垂れ桜のある円山公園を抜け、松と桜が門前に映える知恩院の隣に位置する青蓮院。春と秋にはライトアップされ、青色の幻想的な世界が広がる青蓮院ですが、なんといっても圧巻なのは、その門前にそびえる樹齢800年ともいわれるクスノキの巨木。今でこそ青蓮院を訪れた人は、そのクスノキの迫力の前に足をとめ感動を覚えますが、明治や大正の頃はまだこうした意識は少なかったといいます。



 海野さんによると、このクスノキについて最初に"書いた"のは永井荷風だといいます。しかし、なぜ永井荷風が文章に記すまで、クスノキの凄さがほとんど顧みられてこなかったのでしょうか。言い換えれば、そのような状況下において、なぜ永井荷風はいち早くクスノキの凄さに気付き、書き留めることができたのでしょうか。海野さんはその要因のひとつとして、当時の樹木観をあげます。



「素朴な巨樹信仰はあっただろうが、日本人が特に都市において、樹木を一生命体として観じ、大木、巨木が持つエネルギーに感動するようになるのは、比較的最近のことだったのではないか」(本書より)



 都市の樹木についての、西欧と日本との感性の差異。永井荷風には、米仏に留学し、「西欧の風土とその上に成り立つ社会や文学に深く触れた」風土経験、樹木体験があったからこそ、当時の日本人の樹木観とは異なる西欧的な感性によって、樹木の重要性を意識し、青蓮院のクスノキをとらえることができたのだといいます。



 そしてその後、永井荷風の発見した青蓮院のクスノキは、昭和になり川端康成によっても描かれることになります。



 この青蓮院を後にし、神宮道に沿って行けば、谷崎潤一郎の『細雪』や川端康成の『古都』に登場する平安神宮が現れてきます。



 残された文章を読むことで、文豪たちの見た京都に思いを馳せながら、本書で登場した寺社仏閣を訪ね歩いてみてはいかがでしょうか。