信貴山玉蔵院に設置された芸妓ストの争議本部
信貴山玉蔵院に設置された芸妓ストの争議本部

<大災厄のために両親を失った三郎さんは本当に不仕合せな子に相違ありません、しかし金ちゃんこと三郎さんには二人の姉さんが残されています。金ちゃんはこれからその姉さん達や周囲の人々の温かい手に剛く健やかに育っていくでしょう>

 25年には普通選挙法が成立。女性の参政権はまだ認められなかったが、人々は慣れない「政治参加」に右往左往していた。30年2月2日号に掲載された読者・菱岡敏さんの投稿記事が生々しい。

 菱岡さんが住むのは<政争で名高い本県の一農村>。以前は、村長は村会議員が「座談的」に決めていたが、4年ほど前から様相が一変した。

<Y氏が当然村長になる順になっていたのでしたが、突然S氏が時の政府党によって旗揚げしたのです。Y氏は、人望ははるかにS氏を押さえていましたが、S氏には金力がありました。村会議員の抱き込み運動が公然と行われました。灰色議員が雲隠れしたり、数名の警官が繰り出されたりして騒ぎ出しました。

 かくして議員の半数は金力と権力に傾き、ついにS氏の当選を見るに至りました>

 敗れたY氏派は反対党の政友会に走り、村は政党を背景に2派に分裂。ある校長の送別会では酒宴半ばにけんかが起きた。

<政友派に腕力の強い人が多かったため、S村長は無茶苦茶に打ち叩かれ、一ケ月あまりも床に寝付きました。とばっちりのK校長は、自転車に打ち乗って畦道を走り、ようやく難を逃れたというのが二派分立初期の珍談です>

 以後、村内は隣同士の家でも政党により対立する有り様となり、青年団も消防団も2組ずつに分裂。道路の補修も別々にすることになった。氏神様のお祭りすら、日を分けて別々に開催したという。

<民政のお祭りだ、政友のお祭りだとお宮は偉い繁昌ですが、氏神様は果たしてそれを喜んでいなさるか、大なる疑問です>

■人間を野菜扱い芸妓が綴る苦痛

 31年に満州事変が勃発。日本は次第に泥沼の戦争へと突き進んでいく。一方、国内では労働争議が盛んになっていた。37年2月には、大阪の花街・南地の芸妓たち六十余人が検番(芸妓らを管理する事務所)に対して待遇改善を求め、信貴山玉蔵院に立て籠もるストライキを起こした。3月14日号ではその模様を詳報。玉蔵院の一室では、芸妓らのこんな会話が交わされたという。

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