芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、記憶について。

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 記憶は覚えている方がいいか、どうかとこの前お会いした時、こんな話題になりましたね。鮎川さんは如何ですか。最近の僕は一緒に仕事をしている人の名前が、本人を前にして、突然出てこなくなることしょっちゅうです。こういう時はできるだけ努力して思い出した方がいいと言われますが、面倒臭いので、忘れたら忘れていいと開き直っています。人の名前だけでなく、物の名前も、それから普通名詞も出てこないことはしょっちゅうです。だから文章も書けなくなってきています。名前だけではなく、たった今、したばかりの行為も忘れることがあります。病院に行けば多分初期のアルツハイマーと診断されるんじゃないかな。

 この前、鮎川さんと一緒に会った矢崎泰久さん、あのあと急逝されてしまいましたが、90歳を目前にして、あの記憶力は、もうお化けですね。本人も言っていましたよね。「記憶力が凄すぎて、それが欠点で、不幸だ」と。ひどい目にあったこととか、意地悪されたこととか、恥をかいたことなど、記憶力がよすぎるのも問題ですね。記憶力にたよって絵を描いている僕なんか、彼のことを羨ましく思ったもんです。

 20年ほど前、友人の編集者と日光に行った時、「ウワー、初めて見た!」と感嘆の声をあげたら、「何を言ってらっしゃるんですか、この前も来たばかりじゃないですか」「本当?」「いつも初めて見るように思われるのは新鮮でいいですね」。すでに60代の頃から、ボケていたのかな。

 でもね、あんまり記憶力がいいというのも考えもんですよ。記憶力というのは一種の執着力ですからね。物事にあんまり執着すると、死んだら、お化けになって、成仏できませんよ。矢崎さんに意地悪をした人は夜道など気をつけた方がいいですよ。いつ出て来られるかわかりませんからね。

 できれば生きているうちに、執着になっているような記憶があるなら、断捨離しておいた方がいいですよ。自分を縛り上げている記憶によって、自由になれないことがあります。中々、自分が解放されないと悩んでいる人がいるなら、その人はきっと記憶の執着によって解放されていないんじゃないですかね。

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横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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