8月29日にあった通し稽古から(撮影:ヒダキトモコ)
8月29日にあった通し稽古から(撮影:ヒダキトモコ)

 前田さんの初舞台は15歳の時。日本で2作目のミュージカル「ノー・ストリングス」だった。当時は歌って踊って演技できる役者がおらず、歌手、ダンサー、ポーズを決める人という分業制。前田さんは舞台上でポーズを決めて引っ込むだけだったという。

離婚して29歳で芸能界に復帰した時、私には舞台しかなくて、それが生きる道だと心に決めました。ミュージカルも、どう勉強していいかわからないところから、必死に勉強してきました。舞台を楽しめるようになったのはこの2、3年です」

 前田さんは、ドラマや映画などの映像よりも、“ナマモノ”である舞台にこだわり続けてきた。

「舞台では、いろんな角度からお客様に見られるため、いつも自分が輝いていないといけません。そのために日々稽古をして、ケアをして、体を動かし続けてます」

 もうひとつ、舞台でしか得られないものがある。

「喝采です。中学生の時、ダンス部で振り付けをみんなで考え、衣装を作って発表した時にもらった拍手が今でも忘れられないんですよね。舞台に立つたびに拍手や喝采をもらえる仕事なんてそうそうないですから」

 それだけに、新型コロナウイルスの影響で公演が中止になった時はつらかったと振り返る。

「20年に緊急事態宣言が出た時は、堂本光一さんの『Endless SHOCK 20th Anniversary』が中止になりました。ジムも休業し、どうやって体をキープすればいいのか。もし明日舞台が再開しても恥ずかしくないようにしようとただひたすら歩きましたが、あの時は本当につらかった。私には舞台に立たないと何もなく、生きがいもない。私はこんなにも舞台が好きだったんだと改めて気付かされました」

 かつて劇作家の故・菊田一夫さんに言われた言葉が今も心に残っている。

「一枚のチケットを買った観客にどれだけ素晴らしい舞台を見せられるか、それが舞台人なんだ、我々は一枚のチケットのために命をかけて毎日稽古をして仕上げた作品を見せる、と言われたことがあるのですが、今、しみじみとそう思います」

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